三酔人エネルギー政策問答
三酔人エネルギー政策問答
金子 熊夫
明治末期、自由民権運動の指導者で、福沢諭吉と並ぶ思想家・中江兆民(南海)は、「三酔人経綸問答」を著わし、警世の論を吐露した。今夏百年ぶりに再会した三酔人は、一夕都内某所の居酒屋で、現下のエネルギー政策について激論を戦わした。以下はそのごく一部である。
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南海先生:昨年三月の東京電力福島第一原発事故以後日本では、脱原発ムードが渦巻いており、 現政権はその方向に大きく舵を切る心算らしいが、どうも昨今のエネルギー政策論争を傍で聞いていると、とても正気の沙汰とは思えない。このままでは日本の将来が危ぶまれるが、両君はどう見るか。
学者君:元々原爆の原体験がトラウマ化している日本では、今回の事故の放射線災害で、一般市民がすっかり原発恐怖症に陥ったのは当然です。しかも、これまで科学技術エリートと目されてきた連中が、原子炉の暴走を制御できず、周章狼狽する醜態を衆目に晒したことで、国民の信頼は決定的に失われた。そのことの重大性を「原子力ムラ」の連中はまだ十分悟っていないようだ。我々が脱原発を唱えるのは、再生可能エネルギーが好きだからというより、原子力が怖い、嫌いだからだ。
技術者君:ご批判と怒りは、我々も謙虚に受け止め、深く反省している。しかしだ、自然現象に左右される再エネでは、いくら頑張っても到底日本という巨大産業国家のニーズを賄いきれるものではない。「2030年に30-35%」は明らかに非現実的。それなのに、貴公等が恰も再エネと省エネで万事OKかのような幻想を国民に吹き込むのは無責任極まる。結局原発の穴は火力発電で埋める以外にないが、化石燃料の輸入には莫大な金が要るし、CO2排出量も増える。他方、原子力発電所は、今回の事故を教訓に徹底的に補強・改良すれば、従来以上に強靭で安全なものにできる。折角半世紀かけて営々と築いてきた原発技術を一度の事故で放擲するのは愚の骨頂だ。
学者君:愚の骨頂とは何事か。貴君等が自ら墓穴を掘ったんだぜ。とにかく原発は危険だし、金もかかりすぎる。その金を再エネに回せば、きっと何とかなる。もし10年やってどうしてもダメなら、原発に戻ればよいではないか。
技術者君:そう簡単に言ってもらっては困るね。現に、大学では原子力専攻の学生や研究者が激減している。人材の育成には連続性が大事。今脱原発に政策転換すれば、将来日本の原発技術水準の低落は必至だ。米国や露国は軍(特に海軍)で原子力技術者を養成できるが、平和利用オンリーの日本では不可能。将来原発を再開するにしても、その時は外国の技術を購入せざるをえないが、それは明らか国益に反する。貴公等はあまりにも視野狭窄、近視眼的だ。
南海先生:まあまあ、お互いに冷静に。いつまでも二項対立的な議論を繰り返えしていては不毛だ。吾輩が最も憂慮するのは、原発賛成派も反対派も、専ら国内的な「安全」(safety)という視点だけで判断していることだ。エネルギー問題は本質的に国際的な性格を有し、「安全保障」(security)の視点が欠かせない。石油は既に生産ピークを過ぎており、安価で豊富な石油の時代は終わったとみられる。石炭のクリーン化技術はまだ実用化の域に達していない。天然ガスやシェールガスは最近米国でブームになっているが、過大評価ぎみだ。いずれにせよ、日本は列強と違って化石燃料は皆無ゆえ全部外国から輸入せざるを得ないが、常に安定的に確保できるという保証は全くない。消去法で、残るのは結局原子力ということになる。好き嫌いの問題ではない。国の盛衰、浮沈に関わるエネルギー政策に錯覚や幻想は許されぬ。ポピュリズムは衆愚政治に通じ、国の将来を誤つ。これが吾輩の現代日本人への諫言である。(以下割愛)
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かねこ・くまお
外交評論家。元キャリア外交官(初代外務省原子力課長)、元東海大学教授(国際政治学)、現在はエネルギー戦略研究会会長。ハーバード大学法科大学院卒。著書は「日本の核・アジアの核」(朝日新聞社)等多数。75歳。
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