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原発政策にトップの指導力

  • 執筆:金子熊夫
  • 掲載日:2001年7月12日
  • 掲載紙: 読売新聞 「論点」

新潟県刈羽村で5月末行なわれた住民投票の結果、懸案のプルサーマル計画の実施はまたもや先送りとなり、わが国の原子力政策は一段と厳しい局面に追い込まれた。ブッシュ政権が原子力再活性化路線を打ち出しているだけに、皮肉な歴史の巡り合わせという気がする。

筆者は20余年前、外務省の担当課長として、プルサーマル計画等に関する日米政府間交渉に関与し、以来この問題の動向には深い関心を抱いてきた。当時は2度の石油危機を契機に原子力発電を一層促進するため、外交上のフリーハンドを確保しておきたい日本と、逆に、核拡散防止等を理由に、原子力発電とりわけプルトニウム利用をできるだけ抑えたい米国とが正面衝突した時期で、日米交渉は難航を極めた。

結局、米国は、譲歩する形で日本の要求を大幅に認めたが、それは、「非核国日本」の真剣な核不拡散努力と、「資源小国日本」の切実なエネルギー安全保障論を、米国としても無視できなかったからだ。

 ところが、その後、相次ぐ原子力絡みの事故や不手際等が重なり、プルサーマル計画の実施が幾たびも延期される中で、国民の原子力への信頼感も揺らぎ続けた。反面、地球環境・温暖化問題への関心の高まりとともに、太陽光、風力等のクリーン・エネルギーへの期待が膨らんでいる。石油や天然ガスも国際的に供給が比較的安定化している。世間には、だからこの際日本も思い切って脱原発に踏み切るべきだという議論もある。

 しかし、太陽光、風力等だけでは日本のような「消費超大国」のエネルギー・電力需要を賄えるはずはないし、石油や天然ガスは、ほぼ100%海外、それも大半が政情不安な中東地域からの輸入で、長期安定供給の確実な保証はない。中国やインドネシアまでが石油輸入国と化し、このままでは今世紀前半にも深刻なエネルギー資源争奪戦が起こる可能性も否定できない。

 結局、私たちは、個人的な好き嫌いに関わらず、今後相当長期にわたって原子力に依存(現在は総発電量の三分の一強)する以外に現実的な選択肢はない。そして、原子力発電を継続する限り、使用済み核燃料とプルトニウムは避けて通れない問題であり、仮に脱原発に方向転換したとしても、既存のプルトニウムをどう処分するかの問題は残る。

実は、こうした現実を大多数の国民が内心よく分かっていることは、各種世論調査でも明らかになっている。ただ、人々は、自らの利害に直接響かないうちは無関心を装い、関与したがらないだけなのだ。とくに、電気の最大の消費者である都市住民にこの傾向が強く見られる。 

私は、新潟や福井など原発所在地の知事や市長の要請を受けて現地で講演したり、市民と意見交換したことが、何度もある。その度に、苦渋の選択を強いられた地元の人々が、互いの人間関係までも犠牲にして「推進」「反対」に分かれ、原発受け入れの是非について激論を戦わせている現実を目の当たりにした。だが、大都会の市民は全く無関心で、地元の痛みを分かとうとせず、やり切れなさを痛感した。

プルサーマルを巡って賛成、反対両派に分裂した刈羽村のケースでも、同様の事態が繰り返されたのではないかと思う。

 そこで、以前本欄で述べたことだが、改めて提案したい。

原発推進が国策である以上、全国民の代表である小泉首相、東京都民代表の石原知事は、今からでも遅くない、自ら原発立地自治体へ足を運んで地元住民に直接感謝の気持を伝え、彼らの痛みを共に分かつ誠意を示してほしい。所管大臣や電力の社長だけで済む話ではない。

私は先月ドイツなどを視察してきたが、欧米の政治家はエネルギー問題で、盛んに市民に語りかけている。日本でも、今こそトップの政治家が指導力を発揮すべき時である。エネルギー問題の重要性は、構造改革問題に劣るものではない。

           ◇               ◇                ◇

ハーバード大法科大学院卒、元外交官。国際政治学、核・エネルギー・環境外交論専攻。

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