日本の「原子力ルネサンス」のために 六ヶ所エネルギー・セミナー(議事録) ~世界の中で青森・六ヶ所村の役割を考える~
<議事録>
は じ め に
近年、引き続く原油価格の高騰、中東情勢の緊迫、資源ナショナリズムの高まり等により石油・エネルギー危機が世界的に懸念されております。他方で、徐々に進行する地球温暖化への対策として、欧米はじめ世界各国では、CO2などを出さない原子力の重要性が再認識され、「原子力ルネサンス」といわれる状況が進んでおります。
とりわけエネルギー資源小国・日本にとって、準国産エネルギーとも言うべき原子力の必要性は今後益々高まると予想され、政府も昨年10月の「原子力政策大綱」に続き、今年8月には大変意欲的な「原子力立国計画」を発表しました。この計画に基づいて、目下、各方面で官民一体となって、多大の努力が重ねられております。
申すまでもなく、原子力を最も有効に活用するためには再処理を軸とする核燃料サイクルの確立が不可欠ですが、我が国はその分野では世界の最先進国の1つです。そして、青森県、とりわけ六ヶ所村は、今や日本の原子力活動の中心的存在になっており、その存在意義は今後一段と大きくなって行くものと予想されます
そこで、このような大きな時代の流れの中で、「日本の核燃料サイクルの要」としての六ヶ所村の将来を展望しつつ、六ヶ所村、ひいては下北半島、青森県全体の発展の可能性を考え、共に夢と希望に満ちた地域社会を実現する方策について色々な角度から検討することは極めて意義のあることと思われます。
まさに、このような認識と目的で、本年10月15日、「六ヶ所エネルギー・セミナー」を青森県六ヶ所村において開催いたしました。このセミナーは、政府や企業の立場ではなく、もっぱら自由な市民の立場で、相互啓発の場として開催されたもので、いわばブレーン・ストーミング(勉強会)の性格を持つものでしたが、幸い当日は、こうした趣旨を理解された方々が、地元六ヶ所村や青森県内各地、県外(とくに東京地区)から約250名もお集まり下さり、大変白熱した雰囲気の中で、終始熱心に議論に参加されました。
ここに、その議事録を公にするにあたり、本セミナー開催のために献身的にご協力下さった多くの方々に対し、心からの感謝と敬意を表するものです。願わくは、このセミナーがきっかけとなって、地元青森県や六ヶ所村をはじめ、全国各地で市民レベルの率直な意見交換と交流の輪が広がり、もって日本の原子力産業、ひいてはエネルギー安全保障にプラスをもたらすよう願って止みません。
主催者代表
金子 熊夫 エネルギー戦略研究会会長、EEE会議代表
1.プログラム
六ヶ所エネルギー・セミナー
~世界の中で青森・六ヶ所村の役割を考える~
日時: 2006年10月15日(日) 午後1:30~6:00
場所: 六ヶ所村文化交流プラザ・スワニー(青森県上北郡六ヶ所村大字尾駮字野附1-8)
主催: エネルギー戦略研究会(EEE会議)
協力: 原子力産業と地域・産業振興を考える会
エネルギー問題に発言する会
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13:30~13:50 総合司会:小泉陽大氏(六ヶ所村)
開会挨拶 主催者代表
来賓祝辞 蝦名 武氏(青森県副知事)
古川健治氏(六ヶ所村村長)種市収入役代読
13:50~15:10
第1部 基調講演 <原子力は今: 世界、日本、青森県、六ヶ所村>
講演1: 金子熊夫氏(エネルギー戦略研究会会長、EEE会議代表)
「"原子力ルネサンス"を日本に! 世界のエネルギー最新状況」
~米国、欧州、アジア諸国等の動向と日本の役割を探る~
講演2: 末永洋一氏(青森大学教授、原子力産業と地域・産業振興を考える会会長)
「日本の原子力政策における青森・六ヶ所の役割と可能性」
~地元の視点で原子力との共生関係や将来展望を考える~
15:10~15:30 休憩
15:30~17:50
第2部 パネル討論 <青森県・六ヶ所村と原子力:市民の立場から>
司会: 葛西賀子氏 (フリーアナウンサー、元青森放送)
パネリスト:藤井靖彦氏 (東京工業大学教授)
河田東海夫氏(日本原子力研究開発機構 執行役)
林 勉氏 (エネルギー問題に発言する会 代表幹事)
末永洋一氏
金子熊夫氏
17:50~18:00
閉会挨拶 種市治雄氏 (原子力産業と地域・産業振興を考える会副会長、
六ヶ所村商工会青年部部長)
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<オープニング>
総合司会者: 小泉陽大氏(六ヶ所村商工会青年部)
本日は、休日の貴重なお時間に多数のご参集を賜り、誠にありがとうございます。
ご案内の時間となりましたので、只今より『六ヶ所エネルギーセミナー』を開催させて頂きます。
本セミナーは「世界の中で青森・六ヶ所村の役割を考える」をテーマに、エネルギー戦略研究会の有識者の方々、並びに原子力産業と地域産業振興を考える会、エネルギー問題に発言する会が、それぞれの立場においてエネルギー資源小国日本の原子力政策をいろいろな角度から検討し、夢と希望に満ちた地域社会を実現する方策を、皆さんと共に考えることを主眼として、正に県民の意思を反映させる形で本日に至りました。
このセミナーが将来 日本のエネルギー政策の根幹を成す六ヶ所村で開催されたこと、さらには、本稼動が目前となった再処理工場を、六ヶ所村の、そして青森県の貴重な資源と捉えたとき、我々はどのように向き合い、産業の発展に対し如何に戦略的に活用するのかを考えていくうえで、大変意義深いことと考える次第です。
どうか、最後まで宜しくお願いします。
それでは、まず最初に本日のセミナーの主催者を代表して、金子熊夫様からご挨拶を頂きたいと思います。
主催者代表の開会挨拶
金子熊夫 エネルギー戦略研究会会長
皆様 こんにちは。
ただ今ご紹介いただきました金子でございます。本日のセミナーの主催者として一言ご挨拶を申し上げます。
最初に自己紹介させていただきますと、実は私も「下北」の住人です。生まれは愛知県の三河ですが、50年近く下北に住んでおります。但し、同じ下北でも、東京・世田谷区の下北(下北沢)でして、小田急線の沿線ですが、東京で下北といえばそこのことです。まあ、それはともかくとしまして、私個人は長年この地、下北半島と六ヶ所村に深い因縁のようなものを感じております。
今から30年前、私が外務省の初代原子力課長時代に、旧動燃の東海村再処理工場の運転を止めろとアメリカから言われて、大変苦労したことがあります。1977年に民主党のカーター大統領が登場した直後で、丁度東海村の工場が完成しこれから運転に入ろうとしていたときのことです。日本は、当時から既に青森に大型の商業ベースの再処理工場を建設することを考えておりましたが、これについてもアメリカは何とかブレーキをかけようとしてきました。そこで、私どもは、日本のエネルギー政策上核燃料サイクルは重要だ、大型の再処理施設は不可欠であるとして、アメリカ政府を懸命に説得し、なんとかその合意を得たわけでございます。
そのような関係で、その後ご当地をしばしば訪問しましたが、そのたびに、青森のために、六ヶ所のために何かできることは無いかと、常々考えてきました。昨年丁度今頃こちらに参りまして、六ヶ所村商工会青年部の種市治雄さんらと会ったとき、勉強会のような形でセミナーをやったらどうかということになり、青森大学の末永先生にも知恵を出していただきました。その後六ヶ所村と東京の多くの友人、知人の方々のご協力をいただいて、1年がかりの準備を経て、本日このようなセミナーの開催と相成ったわけです。
このセミナーの主催者である私どもの「エネルギー戦略研究会」は、純然たる民間団体でありまして、6年ほど前から、「EEE会議」という、つまりエネルギー(E)と環境問題(E)を電子メール(E)で議論する会を運営しております。会員には全国各地の、各界の立派な経歴を持った人や、一流の学者、経験者が多数入っておられ、皆さんボランティアでやってくださっています。
今回のセミナーは、国や電力業界などとは別個に、自由な市民の立場と目線で、日本のエネルギー政策、とりわけ原子力政策について、さらにその関連で青森県、特に六ヶ所村の果たすべき役割や将来の可能性などについて語り合って、これから何をすべきかご一緒に考えてみたいと考えております。その意味で、これは1つの、英語で言うブレーンストーミング、勉強会でありますから、特定の問題を議論し結論を出さなければならないということはないわけでありますが、折角ですから、言い放し、聞き放しではなく、一つでも二つでも具体的な共同の行動目標のようなものを探し出せれば幸いと考えております。
本日のセミナーの開催に当たって積極的にご協力くださった地元の方々、また、青森県内各地や遠路東京方面からご出席くださった方々に対し、心から御礼を申し上げます。幸い好天に恵まれました。どうか今日一日よろしくお願いいたします。
来賓ご挨拶
蝦名 武氏(青森県副知事)
皆さん、こんにちは。
今日は「六ヶ所エネルギー・セミナー」が開催されますことを心からお祝い申し上げたいと思います。エネルギー戦略研究会の金子熊夫会長さんをはじめ本日のセミナーの開催にご尽力された関係の方々に心から敬意を表します。
今日は折角の日曜日でゆっくり休みたいと思っておりましたが、先日金子会長さんと末永洋一教授が来られて、日曜日には顔を出さなくてもよいからと何度も強調されました。末永教授には若い頃から大変お世話になっています。今日は是非出席して末永教授の話は聞きませんが、金子先生の話を聞きたいと思って出かけてきました。
今日は前原子力委員の竹内哲夫さん、環境研の大桃理事長、日本原燃の平田副社長が来られて、中谷純逸先生も来ておられるということで、こういうものに参加して、意見を交換するのは大事だと思っております。
先日佐藤(光彦=青森県エネルギー総合対策局長)さんに言われて「ガイアの復讐」という本を読みました。今地球が人間が住むのに大変なことになっている。何千万年もかけて貯めた石油燃料を、僅か100年か200年で消費しようとしている。そのために地球温暖化が急速に進んでいる。あと40年も経てば南極の氷も溶けて、地球は大変なことになる。そういう中で、風力・バイオマス・水素・太陽光などやっても基幹のエネルギーになるには相当の時間がかかる。温暖化を避けて人類が生き延びていくには原子力発電所を平和利用していく必要がある。そのために核燃サイクルをやることが、国の原子力の基本になったわけでございます。これをいかに安全にやっていくかが、われわれに必要なことだと思っています。平和利用に徹する、今朝もテレビで北朝鮮が核実験をやったということで、日本も核を持つべきではないかという意見が出ておりますが、これは論外です。六ヶ所はあくまで平和利用が前提でありますから、原子力の平和利用に徹することが大切であります。
今、再処理工場は第2ステップに入っておりまして、日本原燃さんが一生懸命努力されている最中であります。さまざまな事象もありますが、一つ一つ課題を克服して安全・安心にやっていただきたい。我々も厳しい目を光らせて指導していくというか、厳しい目を光らせることが安全・安心に繋がるのだと考えております。
そのような時に、金子会長さんが勉強会を開いて下さり、本当にありがとうございます。この勉強会を通して、平和利用のための原子力の利用についてその意義を深め、理解を深めることが大切であります。この会の成功を心からお祈りして挨拶とさせていただきます。
来賓ご挨拶
種市秋光氏 (六ヶ所村収入役)
皆さん今日は。今日は六ヶ所エネルギー・セミナーにお出でいただきまして、心から感謝申し上げます。今日は村長が来る予定でございましたが、急な用事がございまして出席できなくなりましたので、私、村の収入役をしております種市ですが、一言挨拶申し上げます。
本日六ヶ所エネルギー・セミナーが、総合エネルギーの供給と研究開発の情報発信基地を目指す本村において開催されますことは、誠に意義深く、かつ光栄であり、喜びにたえません。また本日の主催者であるセミナー実行委員会の皆さんには、常日頃から本村をはじめ電源地域における地域振興のためにご尽力されておりますことについて、心から深く敬意と謝意を表するものであります。
さて本村では国のエネルギー政策への協力と地域振興を図る観点から、原子燃料サイクル事業及び国際核融合エネルギー研究センターの早期立地に向けた事業が鋭意進められているところでありますが、第3次六ヶ所村総合振興計画においても、これらエネルギー関連事業の更なる推進と新たな産業導入を行い、地域振興を図ることをその大きな柱に位置づけているところであります。これらエネルギー関係事業の円滑な推進を図る為には、国民の理解を得ることが第一であり、その理解促進を図るには国民への的確な情報提供が求められると同時に、国民自らが原子力に対し正しい知識を持つことが重要であります。このような時、今回のセミナー開催は誠に喜ばしいことであり、地元六ヶ所村民を始め多くの国民が期待を持つものであります。
今日は日本のエネルギー政策に関する分野において著名な先生方をお迎えして、基調講演さらにはパネル討論を通して、今後の六ヶ所村の役割と地域振興について大いに検討され、夢と希望にあふれ、そして活力ある地域社会実現に向けて、大きく寄与されることを願ってやみません。
終わりになりますが、本セミナーの日本のエネルギー政策の円滑な実施に資するとともに、実り大きなものになりますことを祈念いたしまして、私の挨拶とさせていただきます。
本日は大変ご苦労様でございます。
第1部 基調講演
<基調講演1>
金子熊夫氏(エネルギー戦略研究会会長、EEE会議代表)
"原子力ルネサンス"を日本に!
~世界のエネルギー状況の動向と日本・青森・六ヶ所の役割を探る~
本日は世界を取り巻くエネルギー問題、特に原子力問題に焦点をあて、世界の情勢、日本の情勢、そしてそれに青森県や六ヶ所村がどのように関係しているかについて、要領よくご説明して行きたいと思います。
日本の原子力には50年という長い歴史があり、その間いろいろなことがありましたが、この2,3年は非常にダイナミックに動いています。昨年10月に原子力委員会がまとめた「原子力政策大綱」が閣議決定され、それを受けて経産省で政策的な中身を詰め、この8月に「原子力立国計画」として発表されました。これは今までの原子力政策の作り方からみると、非常に意欲的であり、括目すべきものであります。今後はこの政策がぶれずに、着実に実施に移されることを希望してやみません。
この計画の具体的な内容をごく簡単に紹介しますと、2030年時点において、原子力の比率を30%ないし40%またはそれ以上とするほか、今後の課題として核燃料サイクルの確立に注力し、高速増殖炉の早期実用化、着実な廃棄物処分、人材の確保などです。人材の確保に関しては、もう何年も前から原子力は成熟したというか、旬の時期を通り越した分野として見られており、大学でも原子力工学科に人気がなくなっております。そのために、もう14,5年前から、東大を初め各大学では原子力工学科の名を消して、エネルギー量子工学といったような名称に変えてきています。原子力はこれから先、絶対的に必要なエネルギー源であるだけに、そのようなことでは人材の確保に困るわけで、各大学とも堂々と昔の原子力工学科の名前を掲げて欲しいものです。
そういった、短期、中期的な目標は別として、目を世界に転じてみると、これからの我が国のエネルギー事情には非常に厳しいものがあります。ご存知のとおり、中国、インドのような人口大国で、毎年2桁に近い経済成長を遂げている国で、大幅なエネルギー需要の増大があります。そういう中にあって、資源小国日本がこれから先必要なエネルギーを必要な時期に必要な量を得て、経済成長が続けられるのか、これは容易なことではありません。戦後60年間、曲がりなりにも日本が外国から化石燃料を買って、立派に経済成長を遂げ、世界第2の経済大国になったのは、勿論日本人の努力に負うところが大きいのですが、恵まれていたこともあります。その一つは日米安保条約でアメリカに防衛負担を肩代わりしてもらい、経済に専念することができた。しかし、これからもそれが続くという保証はないのであります。これから中国、インドなどがこのまま経済成長すると、膨大なエネルギー資源を必要とし、その結果世界各地ですさまじいエネルギー資源の争奪戦が起こるであろうということが予想されます。
そういったことを考えると、日本はもっともっとエネルギー自給率を高める必要があるのではないかと思われます。現在日本のエネルギー自給率はわずか4%しかありません。96%は輸入に頼っている。原子力を準国産エネルギーとして勘定に入れても自給率は20%しかない。世界の先進国の中でも際立って低いのであります。それではこの値をどれくらいにしたらよいのか、それは難しい問題でありますが、せめて食糧自給率の40%程度は必要でしょう。食糧の自給率40%、これ自体も問題がないとは言えないが、いざとなったらゴルフ場や学校の校庭を畑にして、戦時中のように芋でも植えれば何とかしのげないでもない。しかし、エネルギーはそうは行きません。国内になければどこか外国から持ってこなければならない。日本でも30年ぐらい前までは石炭を国内で掘っていたのですが、北海道の炭鉱も九州の炭鉱も大方閉山してしまい、今は殆どが輸入です。エネルギー自給率40%の達成というのは並大抵のものではありませんが、たとえ50年、100年かかろうとも、長期的国家目標に掲げて、達成すべきものと考えます。そういった中で、必然的に原子力は重要な役割を果たすわけです。
勿論、石油、天然ガス、石炭といった化石燃料は比較的安く、多量にあるのでまだまだ
エネルギーの中心を成すわけです。現に日本のエネルギー使用量の50%は石油ですが、その大きな部分は輸送が占めております。いま、燃料電池自動車が開発されていますが、燃料として水素を使います。この水素をつくるのに、原子力の熱を利用することが研究されています。まあこれはほんの一例ですが、このようにして原子力の比率を高めることで、自給率を高めていくことが必要です。自給率を40%あるいは50%にするという、国家目標を定めて、それに向かって石油、石炭、天然ガスといった化石燃料の節減をはかる、そして省エネ、新エネの開発は勿論重要ではありますが、とりわけ原子力の開発に力を注ぐことが必要だと考えるわけです。これからのエネルギー戦略においては、このような長期的な国家戦略をたてることが重要です。
ついでながら、現在の世界情勢を見てみますと、中国、インドの躍進に伴う、エネルギー需要の急増のほか、きわめて不安定な中東情勢があります。ご存知のとおり、イランでは国際原子力機関(IAE)の査察を十分に受けないで、ウラン濃縮をしようとしています。それに対して、アメリカはこのまま行きますとイランが核兵器開発をするのではないかと、疑いの目で見ております。
そして、もし万一アメリカがイランに対して制裁ということになりますと、まあ、北朝鮮の問題もありますから、アメリカもそう簡単にイランに対して、こぶしを振り下ろすとは思えませんが、このままイランが突っ走りますとアメリカもどこかで制裁措置をとらざるを得なくなる可能性がある。そうなりますと、イランはイランで、やれるならやってみろ、制裁措置を取ったら石油の輸出を止めるぞといっている。日本は現在イランから、日本の石油輸入量の16%を輸入しています。それが入ってこなくなる。それだけなら、まだ良いのですが、はてはホルムズ海峡の封鎖という事態にまで発展する可能性もあるわけです。そうなった場合、一番困るのは日本です。日本の石油の90%はホルムズ海峡を通ってきます。それが入らなくなると大変なことになります。
また、最近よく新聞にも出ますが、日本がイランと共同開発しようとしている油田に「アザデガン油田」というものがあります。これは中東でも指折りの大きな油田で、日本政府も後押しして、日本の企業が大きな権益をとってこれから開発しようとしていました。ところが、アメリカがこれから制裁を加えようとしているイランに対して、同盟国である日本がそのような開発に金を落とすことは、間接的ではありますが、イランの核開発に加担することになる。ということで、日本政府に対してアメリカから猛烈なプレッシャーがかかった。日本にとって日米同盟は命綱でありますから、泣く泣く権益を大幅に縮小せざるを得なかったということがあります。油田の自主開発というのは本当に難しいわけです。
ついでながら、日本はサハリン沖の天然ガス田の開発を日本の企業が投資して、長年にわたって行ってきました。ところがここにきて、ロシア政府が環境上の問題という、一種の難癖をつけてきたためにいまストップしています。サハリンプロジェクトは日本としては非常に有望だと思っていたのですが、必ずしも安心できない。またシベリアの石油、天然ガスを日本に持ってくるパイプラインの敷設という問題があります。これは当初、ナホトカまで敷いてその後日本に持ってこようという計画でしたが、中国との綱引きになって、どうも中国にとられそうである。また、中国との間では、ご存知のように、東シナ海のガス田開発の問題が大分こじれております。
こういうことを考えますと、なかなか将来的に厳しいものがあります。縁起でもありませんが、これからもし将来第三次世界大戦がおこるとしたら、私はそれはエネルギー争奪戦であろうと見ています。もっとも第二次世界大戦でもエネルギー問題は重要な要因ではありましたが。 そういう事態を避けるためにも、できるだけ化石燃料に頼らない構造、体質にしていかねばならない。その意味からも原子力の重要性はますます高まってくるでしょう。
もう一方、地球温暖化の問題があります。現在、北極や南極の氷が猛烈な勢いで溶けています。その結果として海面が上昇して、多くの南洋の島国が水没するということで、それらの国々では大変な危機感をもっています。日本でも人の国のことと思わずに、炭酸ガスを出さないクリーンエネルギーとしての原子力開発にもっともっと力を入れる必要があるのではないでしょうか。
この図は日本がどのような国から化石燃料を輸入しているか、示したものです。石油についてはサウジアラビア、アラブ首長国連邦、イランなど中東諸国からが圧倒的に多い。天然ガスについてはインドネシア、マレーシア、オーストラリアなど、石油よりはまだ安定していますが、それでも海賊の横行するマラッカ海峡を通ってくるので、安心はできません。しかも、インドネシアは今後は自国内の需要が増えるので、日本には天然ガスを供給できないと言い始めています。石炭についてはその埋蔵量も多く、まだまだ数百年は持ちそうだとは言われていますが、他の燃料に比べて、地球温暖化の原因となる炭酸ガスを多量に排出します。
いずれにせよ化石燃料は日本では産出しないので、何処からか買ってこなければならない。その場合、必要な時に、必要な量だけ売ってくれるとは限りません。今までは日本の経済力があったし、強力なライバルもなかったので可能でしたが、これからはライバルも増え、どうなるかは分かりません。そういったわけで、化石燃料に頼らない体質に徐々に変えていかねばなりません。
この図は石油輸入の中東依存度ですが、1978年の第二次石油危機後に70%を切ったのが、その後またどんどん増え続けて、また90%近くに戻ってしまっています。これだけ中東から買っているのは極めて危険かと思います。
ところでこのような状況は日本だけの問題ではなく、各国とも長期的にどうやってエネルギーを確保するか、エネルギー戦略を最重要課題として真剣に取り組んでおります。アメリカは世界最大のエネルギー消費国でありますが、イラン問題を抱えているので、いつ何時中東からの輸入が途絶えるかもしれない。そのために、自国内での油田やガス田の開発や、輸入先を西アフリカや南米などにできるだけ分散しようとしています。
アメリカのように国内にエネルギー資源を大量に持っている国は良いのですが、日本のように無い国はどうしようもありません。苦しいところです。あまり石油、石油、石炭、石炭といっていても始まりません。いい気になって、やれ核不拡散だ、制裁だと、ばかり言っていると、自分で自分の首を絞めることになりかねない。安倍内閣はこれから大変に難しい舵取りが要求されると思います。
ところで米国は、ブッシュ政権になってからのこの5、6年で従来のエネルギー政策を大幅に転換し、意欲的な政策を打ち出しております。ここにありますGNEP(世界原子力協力計画)もその一つであります。アメリカの原子力政策は、カーター政権以来約30年間、使用済み燃料は再処理しないで、そのまま最終処分するという方針の下に進められてきました。そのための施設としてネバダ州のヤッカマウンテンを最終処分地に決めて、計画を進めていたのですが、再処理をしないとヤッカマウンテンと同じ規模の処分場がいくつも要る、ということに気がついたわけです。そこで今までの方針を変えて、使用済み燃料を再処理するという政策が今年になって発表されました。また、原子力発電所も政府の援助の下に次々に建てる、日本と同じ高速炉の研究開発もやろうということになりました。それだけでなく、核不拡散についても、今まで以上に真剣に取り組もうとしております。日本とも協力してやって行きたいといっておりますので、GNEPに対しては、日本も応分の協力はしていかねばなりません。
一方、ヨーロッパの方ではどうかといいますと、今まで脱原発の代表のように見られていたスウェーデン、ドイツといった国がここにきて政治的な風向きが変わってきており、今までの社会民主党や緑の党が選挙で負けて、替わって保守党が政権をとるようになって来ています。これから原子力利用に方針を転換していく国が増えるものと思います。また、旧ソ連の東欧圏であった国々も原子力をやるようであります。
この図は皆様おなじみの主要国の原子力発電設備です。アメリカ、フランス、日本、ロシア、ドイツ、韓国などが原子力大国であります。
次の図は主要国の電源別発電電力量の構成比です。日本は発電電力量の約30%を原子力でまかなっていますが、フランスは77%、韓国が40%と、必ずしも日本が突出しているわけではありません。そのようなわけで、各国が各国なりに苦労して原子力に取り組んでいますが、それは先進国だけではありません。アジアでは前から原子力開発をすすめている韓国、中国、台湾、インド、パキスタンはもとより、いままで原子力と縁が無かったベトナムやインドネシアといった国々が、将来のエネルギー事情が逼迫するのを見越して、原子力開発をすることを宣言しております。ベトナムではすでに具体的に2017年頃の運転開始をめざして、日本に研修生を派遣してきております。南米ではブラジル、アルゼンチンが原子力発電を拡大する計画があり、ブラジルではウラン濃縮まで手を広げたいと言っております。
それはそれで結構なのですが、原子力は平和利用だけではない、軍事利用という側面を宿命的に持っております。平和利用目的の設備が軍事利用目的に転用されないとも限りません。日本の場合には平和利用に徹するというところから、本日午前中に見学させていただいた日本原燃の六ヶ所再処理工場のように、国際原子力機関による厳重な査察(保障措置)の下で、世界最先端の運転設備を備えて、運転しております。しかし世界の何処もそうだというわけではありません。むしろ六ヶ所工場は例外であって、かなりいい加減に運転している国もあります。その典型的な例として北朝鮮やイランがあるわけです。北朝鮮の場合には平和利用というよりも、明らかに軍事利用ですが、イランの場合には平和目的の原子力発電に必要な燃料を作るためだと言っているわけであります。そう言ってもアメリカは信用しません。これは真に難しい問題です。背景にイスラエルの問題があります。アメリカとイランががっぷり四つに組んで、どちらも譲ろうとしない。これから益々大変なことになります。
一方ではインドの問題があります。インドは74年と98年に核実験を行い、原子力に関しては今世界から村八分のような立場に置かれております。インドはエネルギー事情が悪く、これから益々逼迫するエネルギー情勢から、先進国の優れた軽水炉技術を入れたいと思っているのですが、ままならない。一方アメリカはインドの経済力を買っていますし、アルカイダのようなとのテロとの戦いには、インドやパキスタンの協力を必要としています。それで従来の方針を改めて、アメリカ産の燃料をつけて、軽水炉技術をインドに提供しようと約束しています。それがすんなり行くかどうかは別の問題としてありますが、国際情勢はそういった形で動いております。
人口も多く、急速な経済成長を果たしつつあるアジアの中で、どのようなエネルギー政策をとるかは極めて大切なことです。日本と同じように原子力発電をしたいという国がこれから沢山出てくるとすれば、勝手に開発されて事故を起こされたら困るし、また核爆弾を作ろうとされても困るわけです。そのようなことが無いように、早めに地域原子力協力の仕組みを作る必要があります。私は20年以上前からアジアの平和と繁栄のために、地域原子力協力の必要性を提唱しております。「アジアアトム」構想がそれですが、その中で日本が果たすべき役割は沢山あります。アジアの中の原子力の平和利用とはどうあるべきか、第2、第3の北朝鮮、イランを出さないようにするためにはどうしたらよいのか、もっともっと議論する必要があります。日本は核燃料サイクルを一式持っていますが、小さい国々がそこまで持つ必要は無いでしょう。FBRやプルサーマルや再処理施設を持つ必要はないでしょう。国ごとに適した規模の原子力を持てばよいわけです。後、必要なものは、日本他の先進国が協力していけばよい。
そこで六ヶ所村はどのような立場にあるのか。私は六ヶ所村は日本の核燃料サイクルの要だと考えております。六ヶ所村を中心として、下北半島、青森県には日本の中で核燃料サイクル施設が全部そろっている。このようなところは日本中、いや世界中探してもここだけです。六ヶ所はそれだけユニークであり、それだけにまた責任もあると思います。六ヶ所は世界中から期待されています。現にアメリカからも是非協力して欲しいといわれております。安全で効率的で役に立つ核燃料サイクルを確立して欲しいと思われている。勿論これらの協力は原子力の平和利用に限られているわけで、六ヶ所は核兵器製造のために再処理施設をもっているのではありません。時々、無責任な政治家や学者、評論家が「日本にはプルトニウムが何トンも溜まっている。作ろうと思ったら、1,2ヶ月で原爆数発ぐらいは直ぐできる。そのうえ更に六ヶ所が稼動すれば、1年で原爆何十発分のプルトニウムが生産される」といった類のことを言いますが、とんでもない話です。しっかりと反論しなければなりません。この辺については第二部のパネルディスカッションで討議されることと思います。
それでは青森県、六ヶ所村はこれから、何をどうして行くべきなのか。一つはもっと市民レベルの対話を進めることが良いでしょう。今日やっているセミナーもその一つです。政府、電力会社がするのもよいのですが、もっと市民として自由な立場で意見を交換する。そして色々なアイデアを出す。これをもっともっとやっていく必要がある。
次に地域振興です。私はこちらの方はあまり専門ではありませんし、私の直ぐあとで青森大学の末永先生が講演されるので、あまり色々なことは申し上げませんが、地元の方にとって一番関心のあるのはここのところでしょう。
地域振興というと直ぐにハコモノというのが頭に浮かびます。ハコモノが必ずしも悪いとは言いませんが、本当はその中に入れるソフトが大切です。地元も消費地の人も一緒になって、どうしたら若い人達に希望を持たせるようなことができるのか。お互いに地元の人のことを考えて、もっともっと知恵を出し合っていくことが大切でしょう。必ずしもお金を掛けなくても、またお金を掛けるにしても有効に使える方式、誰もが納得できる道があるのではないか。それには皆でもっと知恵をだす必要があります。
そう考えた場合、やはり内閣総理大臣に一度六ヶ所村に来てもらうことが非常に効果があると思います。アメリカのブッシュ大統領は選挙の応援演説などでは、地元の原子力発電所を訪問し、現場から全米に向けて原子力の重要性について演説しています。残念ながら我が国では、首相が原子力施設を訪問したことは一度もありません。小泉前首相はエネルギーや原子力にはあまり関心が無かったようですが、私は今度の安倍首相が是非青森、六ヶ所を訪問されるよう尽力したいと考えております。勿論、青森だけでなく、福井、福島、新潟のように原子力施設があるところを訪問してもらいたい。そこから、全国の国民に向かって原子力の重要性をアピールしてもらいたいと思うわけです。地元選出の代議士先生のお力添えも頂き、是非実現させてみたいと考えております。
もう一つ、私は青森で「エネルギー万博」をやったらよいと思います。大阪万博(1970年)や名古屋万博(2006年)のような大掛かりなものは準備のため時間もお金も沢山かかりますが、以前つくばでやった科学技術博、沖縄の海洋博、大阪の花と緑博のようなテーマ別のものは、それほどでもない。エネルギーだけでは弱ければ、環境をつけて、さらに観光もつけても良い。青森には素晴らしい環境・観光資源が沢山ある。7年先、8年先になるかもしれませんが、その実現に向かって県が、六ヶ所が目標を持って頭を絞り、進んでいく、そういったことも非常に効果がある。差し出がましいようですが、こういったことも提案させていただきたいと思います。
以上をもって、私の基調講演とさせていただきます。
<基調講演2>
末永洋一氏(青森大学付属総合研究所所長、教授)
「日本の原子力政策における青森・六ヶ所の役割と可能性」
~地元の視点で原子力との共生関係や将来展望を考える~
私に与えられたテーマは「日本の原子力政策における青森・六ヶ所の役割と可能性」でサブタイトルは「地元の視点で原子力との共生関係や将来展望を考える」となっております。本日はこのサブタイトルに少々こだわって、話を進めて行きたいと思います。
私は元々青森の人間ではありません。しかし、もう人生の半分を青森で過ごしており、ある意味では、地元の人よりも青森のことを知っていることが自慢であります。青森県にはかっては67市町村ありました。今では40市町村になっていますが、行ったことが無いところは無いぐらいであります。六ケ所村に関しては、その歴史である「六ヶ所村史」の明治以降の産業経済、政治については私が執筆させていただいております。そのようなことで、地元の視点という点では、自分の経験を通して、一定程度までお話ができると考えております。
さて、まず「共生」とは何かということですが、これがなかなか難しい問題です。昔は「共存、共栄」といっておりました。私は昨年10月に閣議決定されました「原子力政策大綱」の策定委員を勤めさせていただきましたが、その審議の中で「共生」という言葉がでるようになりました。その「原子力政策大綱」の28ページから31ページにかけて、「原子力と国民・地域社会の共生」と題して、4頁にわたり書かれております。そこには「透明性の確保」「広聴・広報の充実」「学習機会の整備・充実」「国民参加」「国と地方の関係」そして「立地地域との共生」となっております。勿論、これは一つの方向性を示すものですから、これでよいと思います。
しかし、青森県、地元という観点から、青森・地元との共生ということを考えたら、これを読んだだけでは分からないというところが出てきます。さらに、今年の8月に資源エネルギー庁がまとめた「原子力立国計画」にも地域との共生ということが、もう少し踏み込んだ形で書かれています。内容としては「原子力政策大綱」を踏襲しながら、それを具体的な形で進めていくというものです。これは全国版であり、それはそれでよいのですが、それを青森県や20年余りの原子力開発の歴史を有する六ヶ所村に当てはめるとなると、いささか、喰い足らなさを感じざるを得ません。つまり、これらのものを受けて、自分たちで「共生」について考えろということになるかと思っています。すなわち、地域との「共生」とは何なのかと考えると、それは青森県なら青森県、六ヶ所村なら六ヶ所村でそれぞれ考えなさいということになるのでしょう。原子力施設の立地点でしれぞれ考えなければならないということです。
それでは、立地点に立って考えた場合、「共生」はどのように考えていけばよいのか。
一つは、金子先生が先ほどのご講演で話された「地域振興」について考えること、もう一つは地域住民の「原子力の重要性に対するコンセンサスの確立」だと思います。つまり、原子力の重要性に対するコンセンサスをきちっと確立した上で、原子力施設の持つノウハウや知識を活用して、事業者と一体となって考え、産業や経済、そして地域振興を図るということになると思います。
最近では少なくなりましたが、原発や再処理施設などへの反対派がよくやることに、原子力施設に関する住民アンケートの実施とその結果の「利用」があります。私は、もともと、アンケートというものを殆ど信じないのですが、彼らが利用するので、ここで話をします。彼らのアンケートによりますと、これだけ原子力に対する受容性が高くなっているのに、相変わらず、青森県民の8割近くの人が「不安だ」と答えています。その結果をもって彼らは「それ見ろ」と言うわけです。これは、まだまだ県民の基本的なコンセンサスができていないことの顕れであり、さらには、青森県や地域の経済、産業などにおいて、身を持って地域振興を感じていない人が多いことの顕れでもあろうと思います。したがって、こうしたことへの回答は、これまでに青森県、六ヶ所村で一体どこまで「共生」が進んで来たのか、そしてさらなる真の共生を求めて、われわれは何をすべきなのか、そこのところを明らかにしていくのが私たちの課題だと考えます。手前ごとで恐縮ですが、昨年の10月12日に「原子力産業と地域・産業振興を考える会」を発足させたのも、実はそのことが目的であります。
私たちは、この「考える会」では、原子力の重要性の認識や役割ということにはあまりこだわりません。それを大上段に振りかざすというよりも、日本原燃、東京電力、東北電力、電源開発(Jパワ―)など原子力事業者が、青森県内において、安全の上にも安全に事業を展開される。その上に立って、それを大前提として、私たちは、これらの事業者の施設との関連で地域振興、産業振興を考えようということであります。先ほど述べました2番目のこと、すなわち「事業者と一体となって産業振興・地域振興を図る」ということを、民間ベースで考えようというものです。
いささか前置きが長くなりましたが、レジメに沿って説明します。
さて、最初の課題である「今、青森県に求められているものは何か」ということを考えるには、歴史的にみて、青森県の産業構造がどのようにして作られてきたのかを見るのがよい、というのが私の考えです。そうしますと、そこから見えてくるのは、当然ですが、21世紀における青森県の在り方は、「自主・自立の社会づくり」以外にはありえないのです。そして、そのための基盤づくりとしては、産業振興、地域振興しかありません。その点をどうするか、例えば原子力との関係でどうするかということをするのが、これから求められる行政や県民のありかただと思います。
次に、「六ヶ所村の歴史と今」とありますが、これは六ヶ所村の歴史を書いているうちに知ったことですが、本当に厳しい条件・環境の中で発展を願った先人たちが多数いたということです。最終的には、「むつ小川原開発」をやろうと決意されたのも六ヶ所村の人達です。一時期、例えば、老人クラブの人達から、開発によって「我々の墓がなくなるのではないか」という声が出たこともありました。しかし最終的には、そうであっても、六ヶ所村のこれまでのやり方を変えなければならない、そのためには「開発」をやろうということになったのです。新しい産業を持ってこよう、そのために我々は協力しようということになったのです。さらに、この「開発」が「国策」だということも、人々が協力した大きな理由でした。この「国策」という点については後で触れます。
残念ながら、むつ小川原開発の第2次基本計画ができた時には、石油精製、石油化学などからなる石油コンビナートの話はつぶれました。そして、それから間もなく、第2次基本計画の付帯として、核燃料サイクル計画が掲げられたわけです。以来20数年、これが進められたわけです。
「クリスタルバレー構想」は21世紀の産業であるIT産業を全県の産業としてやりたい、それを六ヶ所村から発信しようということで、100ヘクタールの土地を確保して、進めています。これは、蝦名副知事とアンデス電気の安田社長、そして私などが、いろいろと話し合って始めたもので、幸いに今、うまくいっております。また、六ケ所村にはITERの計画もあり、まもなく事業の一部が開始されることになっておりますのは皆さんのご存知なところです。こういうものを含めて、六ヶ所村の人々は、必死になって、地域の振興を考えておられるということです。
さて、話を進めますが、次の「原子力といかに共生するか」ということは、繰り返しになりますが、まず青森県・六ヶ所村の原子力施設の意義をキチンと認識し、原子力施設を活用した地域づくりをしていくということかと思います。
それでは、これまで、原子力との共生はどう進められてきたかということを簡単に触れておきます。六ケ所村における原子力施設ですが、ウラン濃縮工場が昭和63年に事業許可を受けたあと、低レベル廃棄物貯蔵施設、高レベル廃棄物一時貯蔵施設など、次々に操業していき、来年には再処理工場が操業を迎える予定です。再処理工場は、今、アクティブ試験中であり、私としてもうれしく思っています。このような原子燃料サイクル施設の立地とこれまでの地域振興の直接的な効果という観点から見ますと、本当にいろいろあります。しかし、まだ足りないとしたら一体何が足りないのか、それを我々は検証しようと考えています。
直接的な効果としましては、雇用の増大があります。日本原燃の社員2千人余りのうち、青森県出身者は1千名余りです。原燃興産の社員は全員が青森県出身です。また、J-TECの社員は半分以上が青森県出身です。電気事業連合会(電事連)も、津軽地方まで含めていろいろと企業誘致に協力してくれております。青森県は、食糧自給率では114%を誇っています。これを支えてきた農業は、今では大規模農業が盛んですが、それまでは二兼農家がこの高い自給率を支えてきたのでして、それは誘致された企業があり、そこに働く場が作られたからでこそだったのです。このことについて、きちんとした評価が必要かと思います。そういったことで、電事連も地元との共生を一生懸命にやってくださったのです。
次に、間接的な効果としては、電源三法交付金があります。このようなことを言いますと、六ヶ所村の人から怒られるかもしれませんが、私は極論しますと、あまり交付金は必要ないと思います。交付金をあまり出しますと、よその場所から色々といわれる、交付金があると自分たちであまり考えなくなる、せっかくの原子力施設を活用しようという方向性を見出せなくなるという問題があるような気がします。これは結果的にはマイナスではないかと思います。例えば、むつ小川原地域・産業振興財団の助成事業、これはいわゆる100億円基金によって事業を行っているのですが、これらの事業の中には、残念ながら、無駄なイベントなどに金を使っているものもある。私はイベントには金を出すなといっています。イベントはもらっている時だけやる。もらわなくなるとやらない。知恵と金を出さない。こんな長続きしないものには金をだすな、やめろと言っております。事業の「選択と集中」こそが大切で、本当に持続的に青森県の産業振興、地域振興に役立つところに金を出すべきです。イベントに100万、200万の金をばらまいても、後には何も残りません。電事連のどなたかが「青森は砂漠に水をまくようなものだ」と言われたということを漏れ聞いています。私も、県民の1人として、ある程度まで同感です。
ところで、こうした事業が展開してきたことで、この間に六ヶ所村はどのくらいに発展したのかということです。結論を言えば、地域との共生を図るということはかなり成功しており、効果がかなり出てきております。
経済、産業構造の変化を見るのに我々は純生産額を見ます。少し古いデータですが、平成14年度、六ヶ所村の第二次産業の純生産額は全体の4割を占めています。青森県全体では2割ほどです。ニ次産業の中には、建築や土木業も入りますが、製造業の果たす役割も大きいのです。2次産業が、4割を占めている事実は非常に大きな意味があります。また、それに伴う一人当たりの分配所得は六ヶ所村は300万円です。青森県平均は222万円です。大変良いことです。こうしたことを、成功事例として、青森県全県に発信していく必要があります。
財政力の向上についてですが、これを見るのには「財政力指数」を見るのがいいでしょう。青森県の市町村で「1」を越えているのは、六ヶ所村だけです。青森市でも0.86ぐらいのはずです。また、社会資本の充実ですが、六ケ所村に来るたびに私はうれしくなります。自然の中に人工美ができてくる。やはり人間は自然だけではダメなのですね。自然に調和したものができることによって、六ヶ所村の存在がイメージとしてもできてくるわけです。
しかし、今までのこれだけでよいのだろうか。もう一歩進めたい。そうすれば本当の成功事例として、青森県全体に波及できるかもしれない。そのように考えるわけです。ただ、その前に、なんといっても、わが国の原子力政策が「ぶれない」と言うことが大前提になります。このことは、「原子力政策大綱」とそれを受けた「原子力立国計画」の中でも、明記されております。「原子力政策大綱」では、我が国の原子力政策として、「使用済み燃料を再処理し、回収されるプルトニウム、ウラン等を有効に利用することを基本方針とする」と記述されていますし、「原子力立国計画」では、原子力政策の5つの方針のなかに「中長期的にブレない確固たる国家戦略と政策枠組みの確立」と謳っています。また、原子力政策における基本的認識として、「そうした中で、核燃料サイクルの必要性が強く認識され、同時にそれが、我が国の原子力政策上における根幹として推進すること、国が『ぶれない』政策の中で推進されることが確認された。」と書かれています。
したがって我々は、中長期的に原子力政策が「ぶれない」ことを前提として、事業者の方々に全力を上げて着実すすめることをお願いしたいわけです。とくに、我が国の原子力政策の中でも、六ヶ所村の原子力施設・再処理工場の意義はきわめて重要なのです。だからこそ、原子力政策が「ぶれない」ことが、再処理施設の重要性を確認することであり、地域との共生の前提となるのです。
国は「ぶれない」、そして、事業者はそれを前提として着実にやっていく、その上に立って我々は共生を求める、そういうことかと思います。
いよいよ、最後のほうになりますが、「終わりに-地域(六ヶ所村)と原子力の共生を求めて」に話を移していくことといたします。
まず、このためには、原子力施設の意義を確認する必要があります。そして、青森県における原子力施設の意義を確認するためには、①原子力施設の意義を「理念」として確認するだけでなく、②原子力施設が地域と「現実」として共生することが重要である。ということは、今まで述べてきたとおりです。そして、そのためには、以下の諸点が重要です。繰り返しになりますが、まずは、国の原子力政策が決して「ぶれない」こと。つまり「国策」として完遂されることです。以前、青森市で原子力委員会主催で「青森県民のご意見を聴く会」というのが催されました。賛成派2名、中立1名、反対派2名の構成で、私は青森県から出ている新計画策定会議の策定委員なので出席しました。その時、六ヶ所村から来られた二本柳さんという女性が「国策に私たちはだまされてきました。また、だまさないで下さい。」と発言されました。そうなのです。六ケ所村や青森県が「国策」にだまされたのは事実なのです。例えば有名なフジ製糖事件。3年間にわたってビートを作れと言うことで、3反歩ずつ作ったはずです。ところが豊作の3年目、アメリカとの甘味資源の云々で加工工場が撤退しました。3反部歩のビート(砂糖大根)は無駄になり、農業者の努力はまさに水泡に帰しました。そういう事例はいくつもあります。これは青森県だけではありません。しかし、青森県の場合には「国策」に頼ってきた歴史があり、それに裏切られた歴史があります。少々、歴史の話をしますと、大正2年の大凶作以降、青森県は「依存型」、「救済型」につくられすぎちゃったのです。勿論、これは、青森県民だけの、我々だけの責任ではないのです。明治末期には、青森県をどうするか、皆で議論していたのですそこには、新しい製造業の振興の議論もありました。ところが、明治末期から、我が国の「産業革命」ともに、東京を中心とするところに集中的に金を持っていかれ、そこで工業が発展したのです。そして、青森県は農業だと言うことになってしまったのです。ところが、大正2年、全くの大凶作です。皆無作だったのです。これ以降、青森県は中央に依存し、あるいは救済を求めると言う形に作られていった。そういう方向に仕向けられていったのです。澁澤栄一たちが、東北を救おうということで、東北振興会が結成され、澁澤は、その一環として、東北地方を視察、遊説して回ったのですが、その時、青森市でも講演をしました。そのとき、澁澤は、いささか残念な気持ちを抱いて帰ったという記事が「東北振興史」に出ております。澁澤は、日本の経済、産業の」基盤とシステムを作ってきた人ですから、青森県に対して、自立、自助を求めたわけです。ところが、彼の演説を聴きに来た人達はそうではなかったのです。あれほどの大物が来るのだから、どれくらい金を持ってくるのかと期待して集まったということです。知事もそうであったということです。一生懸命やろうとしても、凶作などでやられてしまう。そんな時、振興が「救済」という変な形にすりかえられてしまう。そんな歴史を青森県も持っており、そのことが「自立」を難しくしてしまったと言えます。
しかし、戦後、47都道府県の中で、青森県が、もっとも早い時期に、「自立・自助」を謳った総合経済・産業政策を立てたのです。これは自慢してよいことです。ただ、残念ながら、その通りに行かなかったということも事実です。だから、我々は今からでも青森県の自立・自助を目指さなければいけない。それには、原子力施設や地元の資源を積極的に活用しなければいけないと言えるわけです。そのためには、くどいようですが、「国策」として「ぶれない」政策の下に、事業者が着実に事業を推進して行っていただきたい。いくつかの小さなトラブルなどありましたが、私は殆ど安心しております。きちっと情報公開し、県民のコンセンサス、きちっと品質管理という観点から日本原燃もやっていただ居てきたのですから。この点を私は高く評価したいと思います。そういう事業者の姿勢と、あとは、自立というものを、県民がこれからどれだけ確認していくかが問われるのです。先ほど言いましたように県民の80%がなんとなく不安を持っているという現実もあります。
あるいは、これは県庁もそうなんです。「青森県生活創造計画」というものが一昨年、策定されましたが、私はその中の産業部会の座長をしました。その時、私は原子力も産業に入れようと主張したのですが、入りませんでした。原子力は「安全、安心」の項目として取り扱われるのです。これが事実、現実ですから、だからこそ、事業者は、安全、着実にやっていく必要があるわけです。
県民が正しい情報の下に原子力の意義を確認する、そのためにも、資源エネルギー庁が小さなフォーラムをどんどんやっていくと言っております。それでコンセンサスを得るのだと書いてある。ぜひとも、これを実行していただきたい。もちろん、日本原燃もしっかりとやっていらっしゃいます。昨年でしたか、大間町でフォーラムを開いた時、日本原燃の宮川さんが、「皆さん、原子力は怖いと思っていますか。不安ですか。」と聞いたら会場がシーンとしている。私もしかたなく「不安に思う人もいるのでしょうな。」とぼこっと言ったら、宮川さんは、「私は何の不安もありません。」という答えが返ってきた。そうなのです。原子力は機械があれば測れるのです。地震は予期できない。測れますが起きてしまったらお終いです。こういったことを、キチンと言える人が私は必要だと思います。そのことが、漠然とした不安を除去するための大きな力となるのだと思います。おそらく、県民には、そういったことからやっていく必要があるかと思います。
「県民が様々な観点から原子力施設の活用を追及しビジョンを示すこと」、これが我々の「考える会」がやっていこうとしていることです。「考える会」にも色々な方が入っておられます。企業の方もかなり入っていただきました。その中にはいささか問題のある人もいます。先日、日本原燃が、六ヶ所村と青森市で「こういう仕事があります」という説明会を実施しましたが、東奥日報の記事からすると、特に青森市ではあまり評判が良くなかった。それは、そういう説明会にくる人が、我々の「考える会」にもいるのですが、「タナボタ」で仕事がもらえると考えてくる人がいます。それはおかしいのであって、今の時代に「能力」「技術」「資格」が無いのに、仕事が貰えることはありません。これくらいのことは覚悟して考えるべきなのです。ですから、このことは我々が示すと同時に、民間企業の方々も、原子力施設というものを活用しようと思ったら、それと共生して新しい仕事を作っていこうと思ったら、自らイノベーションを図ること、それが絶対に大事です。青森県全体についていえますが、そのことが大事かと思います。もろろん、「事業者が地域の一員として地域振興にさらに努力すること」も大切なことです。参考として、「原子力産業と地域・産業振興を考える会」の意義を書いておきました。入っていない方は是非、入ってください。皆手弁当でやっております。
最後にまとめ的になりますが、本題の「日本の原子力政策における青森・六ヶ所村の役割と可能性」とは何かです。私なりの結論を言いますと、先ず、第1に、原子力の必要性と重要性、これを不断に発信する、そういった基地になるということ、そして、第2に、それを支えるためにも、これに関わりながら、産業振興、地域振興の成功事例をつくること、それを更に広い範囲に拡大していく、そして、それを同時に発信していく、それが大事だと思っております。
大変雑駁な報告となりましたが、ご静聴、ありがとうございました。
パネル討論
葛西賀子
コーディネーターを勤めさせていただきます葛西賀子です。若輩者ですので、皆様のご協力を得ながら、進行していきたいと思います。それでは、本日のパネリストの皆様を紹介させていただきます。私のお隣から、さきほど主催者として基調講演をいただきました、外交評論家、エネルギー戦略研究会会長の金子熊夫様です。続きまして東京工業大学教授の藤井靖彦先生です。次に日本原子力研究開発機構執行役部門長の河田東海夫様です。そのお隣がエネルギー問題に発言する会代表幹事の林勉様です。最後がさきほど、主催者として基調講演をいただきました青森大学付属総合研究所所長、教授の末永洋一先生です。
本日はセミナー、勉強会ということで、後半大きく時間をとりまして会場の皆様からの、日頃考えておられるご質問、ご意見を頂戴し、ここにおられる先生方から答えていただくことになっております。錚々たるメンバーがそろっておられますので、どうか忌憚のないご意見、ご質問をお願いいたします。
さて、基調講演を頂きましたお二人の先生のお考えは皆様、十分にご理解していただいたと思いますので、初めに残りの3名の先生方から順に、各々10分程度のお話を伺いたいと思います。そして前の基調講演についても、簡単なご感想を頂けたらと思います。
まず初めに藤井先生からお願いいたします。
藤井靖彦
ご紹介に預かりました東工大の藤井でございます。今日、私ここに参加させていただきまして、ともかく非常に感銘を深くいたしました。と申しますのは、最初の副知事さんのお話から、「地球環境問題から考えて、これから原子力は必要である」ということを明言されまして、「六ヶ所は原子力で行くんだ」ということを言われました。おそらく、この二つのことは本日の、このセミナーの結論であるかと思います。最初に結論をきかせていただいた。県の副知事さんがこれほど明確に原子力に対してしっかりしたポリシーを持っておられるということをお聞きしまして、本当にこちらが安心いたしました、と言うか感銘を深くしました。
それから、先ほどの末永先生の熱意あふれるご講演を伺いました。私はどうも原子力をやるには人が大事である、自立の心を持って、そして開明的な土地柄でないと開発はうまくいかないと思っております。 ちょっとトラブルがあるとすぐ何だかんだというところでは、うまくいかないわけです。こちらでは原子力は自分たちの産業だ、自分たちの仕事だと考えていただいて、産業と地域の自立と発展のために原子力に取り組んでくださると、こう言う土地柄だということをお聞きし、本当に感銘いたしました。
それでは今日のお話伺った所に付け加える所は無いんですが、自分の考えを、OHPを見ながら話させていただきます。
青森県、六ヶ所村が人類文明の中で、非常に大きな役割を持っているということです。この青森県、六ヶ所村に非常に大きな期待を持っております。人類の文明とエネルギーの使い方に非常に大きな関係があるということを、もう一度考えてみたいと思います。
エジプトからギリシャ、ローマ、そして北ヨーロッパへ西洋文明が広がった歴史の流れを見てみますと、エネルギーが重要な位置を占めているわけです。このエネルギーは森林、森の木材が人類の文明を作りました。最初森を切って、切った木がエネルギー源となって、切った後を農地にして食糧増産して、これで人口が増大して、都市ができて、そうすると土地が足りなくなりますから、新しいところに植民地を作り、そしてその植民地のまわりで、また森林を伐採する。こうしたサイクルを繰り返して、文明が成長したといいますか、成長して来たわけです。しかしこういう風にエジプトから北ヨーロッパのオランダまで来ましてヨーロッパ中の森を切ってしまった。そして畑になったり、牧草地になったり、ぶどうの畑になったりしたわけですが、木材がなくなりこれではもう人類の未来が無いというときに、人間は石炭を開発した。一つのエネルギー源がもう限界に来て、次のエネルギー源を開発した。これは、丁度21世紀の我々が直面しているそういう問題が、実はこの時代にあったわけです。
石炭を開発すると、この石炭と言うのは木材にくらべてパワフルですから、鉱山を開発したり、いろいろな鉱工業を発展させた。その結果、国の国力が増大して、増大した国は植民地を作った。そこでまた、エネルギーが必要ということで、石炭を開発するという、こういうような社会が18世紀から20世紀にかけて、覇権国家イギリスとかフランス色々書きましたが、増えていきました。日本なども、かっては満州に進出して石炭を開発しました。こういう資源を巡る覇権があったわけです。
さらに、人間は石炭から石油に移ったわけですが、実は石油を使ってみますと、これは本当に便利なエネルギー資源でありまして、言うまでも無いことでありますが、ちょうど美味しい料理が出されたら皆そっちのほうに行くように、石炭から石油に代わったわけです。この石油があまりにも使い勝手が良いものですから、それを使って産業が発達し、高度情報化社会という現在の社会ができてくるわけですが、これがなかなか厄介なもので、世界中をグローバル化するとか、商業的圏を拡大するとか、もう一つの覇権を作っているわけです。最近のアラブの色んな戦争も石油を巡る争いでもありますし、このエネルギーを巡る文明という視点で見ますと、今までの資源とエネルギーというのは、必ずいろいろなトラブルを起こします。今見えるトラブルは、非常に大きい、地球環境あるいは石油の限界、あるいは国家間の覇権であろうかと思います。
実は、原子力についてでありますが、これは私のまったくの独断ですが、少しばかり生まれるのが早すぎた。石油の限界を見て、限界によって原子力が生まれるべきであったと思っております。 かってヨーロッパの森が無くなり、そして、石炭が出てきたように、化石燃料の限界を見て原子力が生まれるべきであった、そういった意味で、20世紀に生まれたのは早すぎた、50年ばかり早すぎたと思うわけです。21世紀こそ、原子力でもって、炭酸ガスを出さないこの技術をベースに持続可能な社会が作れるのだと思います。平和な世界を構築することで、覇権主義から離れて、世界は資源争いをしなくて良い社会ができるのであろうと思います。ただし、この平和な世界を構築するということが、原子力を進める最大のポイントです。平和であれば原子力は進みます。したがって、核兵器の拡散を防ぐとか、原子力の別の面を押さえるというのが非常に重要ありまして、そのために人間の叡智が問われるのであります。原子力によって均衡と調和、地球環境保全を達成した社会を作るということに、我々人類は夢を持つことができるというわけです。
ところで原子力の役割ですが、核反応の利用としましては、皆さんご存知の通り、エネルギー源ということで、発電に使われているわけです。将来は多分、水素を作るのにも核エネルギーは使われるものと思います。ところで資源としまして、エネルギー源のほかにもう一つ資源としての価値もあります。これは使用済み燃料を再処理して、プルトニウムを取り出し、燃料とするのは勿論ですが、貴金属や有用な元素を取り出すこともできます。いわゆる錬金術の夢をかなえることでもあるわけです。パラジウム、ロジウム、ルテニウム、希土類などの貴金属を取り出す。さらにこれらに入っている放射能、放射線を利用して、医療、工業計測にも使うことができる。このように、原子力の多面的な使い方が成されなければならないと思います。
エネルギー資源として再処理工場を見ますと、原子炉で燃焼した使用済み燃料には、ウラン235とプルトニウム、いわゆる燃える成分があわせて約2%ほどが含まれています。
ここの再処理施設で年間800トンの再処理をしますと、大雑把な話ですが軽水炉燃料用として、ざっと250トン分回収されるという計算になります。これは100万KW原子炉の10基の燃料分に相当します。それを石油に換算しますと、1300万トンという巨大な量の石油に相当します。六ヶ所村から、いわば石油がとれるという計算になります。この1300万トンという量は実は石油の日量20万バーレルに相当します。この再処理工場が操業し続ける限り、エネルギーを作っていく。実は、ここは無限の油田なのです。 ちなみに、先ほど金子先生のご講演の中に出てきたイランのアザデガン油田、この利権を日本が確保するのは大変で、実は10%くらいしか確保できないようなのですが、ここの8年後の石油の産出量はフル操業で日量26万バーレルと予想されています。つまり、ここの再処理工場は操業し続ける限り、アザデガン油田が一日に産出する石油に相当するエネルギーを生み出すと言うことです。
同時にいろいろな物質、放射性物質も沢山含まれていますが、放射性物質の内、半減期が1年以下のものは10年たつと1000分の1、30年たつと殆ど無視できるほどになります。一方、半減期10年から30年というものもありますが、これは放射線源に利用する。非常に半減期の長いもの、これは実害は殆ど無いといえます。
使用済み燃料の中の貴金属を見ると、これは800トンの中に2.4トンぐらい含まれていますが、これを将来何とか有効に活用することを考えるべきだと思います。ところで、日本が使っているエネルギーの全部を原子力に置き換えるとなると、日本で今使用している10倍のウランが必要となりますが、高速増殖炉を利用したり、海水中のウランを利用したりすると、資源争奪戦のない平和な世界を我々は構築できます。
というわけで21世紀人類の新たな文明を拓く六ヶ所と青森県、青森県民の開拓者魂に敬意を表したいということであります。
葛西賀子
はい、ありがとうございました。今の藤井先生のお話、そしてその前のお二人の基調講演を伺ってみますと、様々な面から見て、21世紀はどうしても原子力に頼らざるを得ないと言うことは目に見えているのですが、六ヶ所はアザデガン油田とほぼ同じようなエネルギーを生み出すということで、何か夢がある話が聞けて、初めからいいなと思っています。 続きまして、河田先生お願いできますか。
河田東海夫
日本原子力研究開発機構の河田でございます。私は37,8年前に昔の動燃(動力炉核燃料開発機構)に入って、以来ずっと核燃料サイクルの研究開発に携わってきた人間です。私は研究に携わってきたのですが、ここ六ヶ所に来て、その研究が次々にここで本物になっていくのを見て、非常に心強い思いが致します。今、私たちの組織からは、ここ六ヶ所再処理工場の立ち上げや、MOX工場の設計、許認可あるいは濃縮の新しい遠心機の開発に全体で百数十名の応援を出しております。そういうわけで、この六ヶ所村の皆様にはあらゆる意味でお世話になっていることと思います。改めて、御礼申しあげます。
私の方からは、そういったことから、技術屋さん的な立場から皆様方のご参考になることを幾つか、絵でもってお話させていただきます。
この図は金子先生のお話にもあったとおり、今まさに石油の値段が高騰しており、貴重な石油資源の先が見えてきているという実情を示しております。
これもまた、よく聞かれる話ですが、NASAは1978年から北極の氷の面積を連続して測っております。これは9月が一番小さくなります。その面積をプロットしたのが赤い線ですが、明らかに減ってきています。これをずうっと辿って行きますと、2060年の夏になると、北極にぜんぜん氷の無い状態になってしまうのです。今のお子さん達がそういった状況を見るんですね。
これは今、藤井先生がお話した文明論、これを圧縮してみるとこのようになります。人類、非常に長い歴史を持っていますけれども、産業革命以前には化石燃料を使っていなかったんですね。そういうものを使わずに、人類は長年にわたって文明を築いてきた。産業革命が始まったとこで、途端に、この赤い部分が化石燃料の使用ですが、ワーっと使い出して、それに伴って人口も爆発的に増えたわけです。食べられるようになったのです。ところが、その化石燃料も先が見えてきたわけです。では私達はどうしたら良いのでしょうか。私達の子孫は。そこのところで、再生可能エネルギー、自然エネルギーは今後大事ですが、やはり一番力強い基幹エネルギーの供給源である原子力が一番大切なんですね。勿論、節約は今後やっていかねばなりません。こういったものを総動員していかないと、私達の子供、孫ぐらいまでは何とかなるかもしれませんが、その先になったらどうするのですか。ただ原子力でも、これまでの原子力ではダメです。サイクルをやっていかなければなりません。リサイクルを。いわゆる原子力発電大国と言われている国々、2、000万KW以上の原子力発電所を持っているところは、皆、今、核燃料サイクルを目指そうということになってきています。去年までアメリカは「原子炉の燃料は使い捨てでいいよ」と言っていたのですが、この問題に気がついて、この2月から「俺達もリサイクルに戻るよ」と宣言しております。ただ、一人だけドイツがもう原発はいらないと言っておりますが、おそらく、いずれこういう問題に気がついて、リサイクル路線に舞い戻ってくるものと思われます。
それで、去年までを見ると世界の発電のうちの半分弱ぐらいが、再処理しましょうという国の発電だったんです。半分よりチョット多くが直接処分で、使用済み燃料は捨ててしまいましょうといっていたのですが、アメリカが今回、もうそれでは先が続かないことに気がついて、おそらく2020年頃には8割くらいの国が使用済み燃料の再処理しようということになってきます。
つい最近までの議論の中で、六ヶ所の再処理は止めよう、今頃再処理なんかしようとしているのは日本だけだよ、あなたたち、なんで変なことを言っているんだよ、と言っている人たちもいたのですが、実態はこういうことなんです。
この辺は先輩のヨーロッパを見ると、この赤い点々がプルサーマル運転をやっているところです。今まで軽水炉の燃料25,000トンをヨーロッパでは再処理しているんです。六ヶ所の再処理の30年分です。これくらいヨーロッパでは経験があるのです。反対される方は、再処理技術は未確立で危ないと言っているのですが、本当は六ヶ所の30年分の実績を積んでるんです。MOXも2000トン作っています。六ヶ所は年間130トンです。もう15年分の先行経験を積んでしまっているわけです。無責任な学者、反対される方は再処理技術は危ない、あぶないと言っているのですが、責任ある立場の方は皆さん非常にポジティブに発言されています。
この方はIAEAの前の事務局次長をされていたブルーノ・ペローさんですが、プルトニウムリサイクル技術は全ての面で成熟していると、こういうことをおっしゃっています。
それから再処理工場は世間では「あまりないのかな」と思っているようですが、実は大きい国ではリサイクルしなければいけないと言うこと気がついているので、良く見てみると結構あるんですネ。日本も持たなければいけないということで、六ヶ所を作ったんです。ちょっと、薄いところに有るのは、これから作りたいというところです。あまり皆様、ご覧になったことがない図かと思い、ご紹介しておきます。
そういう中で、日本の六ヶ所工場は他のところにない自慢できる技術を持っています。もう既に皆さん聞いておられるかもしれませんが、再処理工場から出てくるものはウランとプルトニウムになのですが、六ヶ所ではプルトニウムだけで取り出さずに、ウランとプルトニウムが混ざった状態で取り出す、これによって核兵器への転用がしにくい、そういう心がけでやっています。
ついこの間、北朝鮮が核実験をやりましたが、こういうことと併せて、「六ヶ所工場もそういう材料をつくるのではないか、危ないわ」ということを言う人がいます。これは核物質の組成をあらわしたもので、緑と赤が核分裂を起こすものです。赤がウラン、緑色がプルトニウムです。原爆を作ろうとすると、この緑か赤を沢山集めないと原爆材料にならないわけです。ですから、原爆というのはこの緑だけとか、赤だけのものを作るんですね。六ヶ所でできるのは、何かと言ったら、確かに分裂するものを集めるのですが、この緑がごく一部で残りは分裂に役立たないものでできています。六ヶ所で作るものはこのようなものです。これから原爆を作るといったものではないわけです。まさに平和利用のための物を、エネルギー利用のためのものを作っていると言えるわけです。この辺も理解していただけたらとありがたいと思います。
昨年ノーベル平和賞をもらったエルバラダイさんも「日本が先進的な核燃料サイクルを進める国として、これこれ、しかじかで非常にうれしい」と褒めているのです。
この方はアメリカのエネルギー省の副長官のクレイ・セルさんですが、「もしも、全ての国が日本のように核不拡散に向けて真剣な姿勢を示してくれるならば、世界は今よりもはるかに安全な場になるであろう」というようなことを言っておられます。日本は優等生といっているわけですが、まさにここがその優等生で、皆さんも大いに自信を持っていただきたいと思います。
それから、少し放射能の話をさせていただきます。特に最近、「六ヶ所が操業すると心配だ。」ということを岩手県の方でとても心配しているということを聞いております。まあそうですネ。「放射能が流れるのではないか、魚がどうなるのか、ヨーロッパの方では再処理工場の排水で海が汚染されて、いろいろ問題があるよと」、こういうことを言っている。
確かに、残念ながら以前ヨーロッパではそういうことがありました。
これはヨーロッパの北の海で、海がどれだけ放射能で汚染されているかを歴史的に調べたものです。この赤い線は大気中の核実験のために汚染されたものです。いわゆるフォールアウトといわれるものです。次の70年代の緑色の線は実は核兵器用の燃料の再処理によるもので、旧式の設備を使っていたために、かなりの量の放射能が海に漏れ出した結果です。私達の、この六ヶ所工場はもっともっと近代的な商業用の再処理工場です。それと同じような大型の再処理工場が1980年代後半からヨーロッパで3つ立ち上がっていますが、この図の通り、放射能は殆どありません。勿論少しはありますが、大量にはありません。今はむしろ石油、海洋油田から出る放射能のほうがはるかに多くなっています。もう殆ど99%はそういうものからのものです。再処理からのものは事業者が一生懸命努力して減らしたのです。そういう成果が六ヶ所にも反映されているわけです。
それでもう少し、放射線の話を復習してみたいのですが、奥様方がここにもおられますが、人間すべからく放射能の海の中で泳いでいます。宇宙からも被ばくします。地中からも被ばくします。あるいは食事からも被ばくします。それから空気中にはラドンという放射性物質があります。そういうことで、年間2.4ミリシーベルト被ばくするといわれております。それに加えて、人工での被ばくがあるわけですけれども、医療診断、これで日本人は平均2.4ミリシーベルト被ばくしています。被ばくを避けようとしたらある程度はさけられるのですが、それでも日本人は平均それだけの被ばくを受けています。再処理工場が稼動しますと、どうしても放射能を出します。ですが出す量をできるだけ低く抑える工夫がなされています。そのために再処理工場は複雑にできているわけです。それで評価した値が年間に0.022ミリシーベルトという値です。それも毎日魚を300グラム、わかめは40グラム、365日食べ続けるという計算の結果、そういう値になるという数値です。
ミリシーベルトという被ばくの単位ですが、なかなか頭に入りにくい。被ばくというのは、これは最終的にはガンになりやすさの危険性と関係します。被ばく量というのはそういう危険性の確率を表す指標になりますが、たばこも肺がんの確率を高めますので、喫煙の量と比較してみると分かりやすいと思います。
まず年間の許容被ばく線量を民間の人は1ミリシーベルトと法律で決められています。職業人だと50ミリシーベルトです。1ミリシーベルトをタバコの量にすると1ヶ月に1本、職業人の50ミリシーベルトだと1日に4本という数になります。六ヶ所からの放射能影響は3年間に1本という量です。よく事故のとき何ミリシーベルトといいますが、生活感覚でいうとこんなものです。こういうことを頭の中にいれておけば、事故だというたびに、あまりびっくりしなくて済むと思います。
最後に東海村と六ヶ所との関係をお話しておきます。東海村は六ヶ所に比べると、少し先輩ですネ。昭和30年代からいろいろと原子力に関係してきました。日本の原子力発祥の地とか、原子力の研究開発のメッカとか言われておりまして、そのことを東海村の人たちは非常に誇りにしております。ここ六ヶ所村はそういった意味からしますと、日本の核燃料サイクルの基地なんですネ。これは六ヶ所工場が今まさに立ち上がろうとしている、それを東海村が支援している、そういう図です。ここがキチンとたちあがることで、国民のエネルギーセキュリティー、安全保障への貢献が成されるわけです。日本がエネルギー面での不安を消せるということは、とりもなおさずこれは世界平和への貢献に繋がるわけです。これからまさに世界的な規模でのエネルギー争奪戦が始まろうとしている時に、日本が自前のエネルギー源を持つということは、世界平和への貢献に間接的に繋がるということです。その元が六ヶ所工場である、そのことに皆様方、是非とも誇りを持っていただきたいと思う次第です。どうもありがとうございました。
葛西賀子
河田先生は東海村からお越しになって、東海夫(とみお)さんとおっしゃられるのですネ。ところで、六ヶ所再処理工場から出るものはウランとプルトニウムの混じったもので、絶対に核兵器には転用できないものだと言うことを伺って、安心しました。
続いてお待たせしました。林先生、お願いできますか。
林 勉
私は元日立製作所で入社以来、一貫して原子力の仕事に携わっていました。最後は原子力事業部長ということで、全体のマネージメントをしたわけですが、その間、青森県とは仕事のことでいろいろ関与させていただきました。この席を借りて感謝させていただきます。現在はリタイアしていますが、「エネルギー問題に発言する会」というものを組織いたしまして、その代表幹事ということで、いろいろと取りまとめ役をやっております。あまり聞きなれない会なので、皆さんにまず、どんなことをやっているか簡単にご説明した後、金子先生のお話になった内容に関連して、話をさせていただきたいと思います。
「エネルギー問題に発言する会」というのは、我が国のエネルギー政策にとりまして、原子力発電の健全な推進が不可欠であるという認識を共有する人達の集まりでして、このことを世間に向けて積極的に話しかけて行こうという目的で活動しております。会の概要ですが、現在会員数が約200名、電力、メーカー、研究機関、メディアなど原子力関連業界のOBの方たちです。原子力業界にいる方たちは日頃、あまり自由に発言しにくいという雰囲気にありまして、そのへん、彼らに代わって発言して行こうというのが、この会の活動の中心です。どんな活動を具体的にやっているかと言いますと、まずホームページからの発信があります。ただ、ホームページを見てくれる人は関係者以外、殆どいません。
そこで、報道機関が原子力について間違った報道をしたり、偏見のある報道をした時に強いクレームをつけ、是正してもらうということをします。それから、原子力施設でトラブルなどが起こった場合、メディアは直ぐに報道しなければならないので、そこに取材にいきますが、当該の電力さんやメーカーは今調査中だとかで、なかなか対応できない、そんな時に彼らは大学の先生や反対派のところへ行って取材する、そうすると偏った報道になってしまう。私たちOBは組織に縛られず、自由な立場にありますので、キチンとその問題の技術的なことは説明してあげるというようなことをメディアに伝え、彼らの取材を受けたりしています。その効果があったのかどうか、よく分かりませんが、最近はあまりひどい報道は少なくなってきたのではないか、という気がします。
また、官公庁が新しい政策を立てる場合、パブリックコメントを募集しますが、そんな時、体制側にいる人はあまり提出しません。そうすると、どうなるかと言いますと、反対派の人達はまとまって意見をだしますから、反対の意見が政策に反映されるということも起こってくる、それではまずいので、我々も積極的に推進側としての意見を出していこうということをやっております。それから、エネルギー/原子力政策の提言ということをやっています。いまのエネルギー/原子力政策にいろいろな不満を我々は持っていて、日頃からそれについて議論をしています。それを、金子先生のEEE会議などと政策提言の形にまとめ、関係官庁の大臣、政治家、主要関係者にメールで提言したり、場合によって、直接、大臣や関係議員のところに出向いていって説明したりしています。今度の「原子力立国計画」を見ますと、我々が提言を通じて主張したことが数多く取り上げられている、まァ、それは結果論で必ずしも我々の提言が採用されたためかどうか分かりませんが、それでも政策を立てた人達へエールを送ったことにはなったかと思います。
次に教育の問題ですが、この点について我々の中でも原子力教育が十分でないという不満が多い。ではどうするかと言っても、相手が大きすぎて、どこから行ったらよいのか、なかなか分からない。とりあえず、次世代を担う学生たちに原子力の重要性を伝えるということで、学生とシニアの対話というのをはじめました。ここ1年半で10大学近く、北海道から九州の大学まで行って対話しています。これからも続けるつもりです。
それから、「エネルギー拠点としての地方の役割」、これは今度の原子力立国計画でも謳われていますが、これから原子力政策を進める上で、地方の役割が大変重要になってくるということですので、その辺についても、我々の中で議論を進めたいと思っております。
ところで、先ほどの金子先生のお話にもありましたが、世界では「原子力ルネッサンス」といって、原子力の見直しが大変に進んでいます。その根幹にあるのは何かということを良く考えて見ますと、世界的にエネルギーに対する危機意識が非常に強くなってきていると言うことがまず一点、それから二点目が今日皆さんが指摘した環境問題です。残念ながら日本ではそこまで行っておりません。
では具体的にどんな危機なのか、スライドを使って説明します。
この図はアメリカの石油の需給の実態を示したものです。横軸は年代、縦軸はその年の石油の生産量と消費量を示しています。アメリカでは1900年代の初頭に石油の本格的な掘削が始まり、それ以降順調に生産が伸び、それに応じて消費も伸びてきました。その間、第二次世界大戦が起こり、多量の油を使い、今までに無い激しい戦争でした。戦後、石油を多量に消費するモータリゼーションが起こり、消費も飛躍的に伸びましたが、1960年代に入り、生産がピークを迎え、その後だんだんと減ってきました。一方、消費の方は惰性でどんどん伸びて行きました。その結果現在では70%ぐらいを輸入に依存しているわけです。これがアメリカの実態です。これにはいろんな教訓が含まれています。一般に石油に限らず、地下資源の生産はこのような正規分布型をとると言われています。このピークの時点でみていますと、掘削したと同じ量残っているのですが、あとは減るだけです。しかも、埋蔵量が倍あったとしても、このピークがちょっと右にずれるだけであって、このピークが出てくるのが10年とか、それくらいの差にしかならないということです。ということは、「埋蔵量はまだまだあるよ。」と言っていても、ピークになったら近い将来にストンと生産量が落ちてくるわけです。アメリカの場合には自分のところはピークを過ぎても、外国から安くて豊富な石油をどんどん買うことができたので、こういうことが許されたのです。しかし、アメリカにとって石油を確保することが国家安全保障の最重要政策になりまして、湾岸戦争とかイラク戦争が起こったわけです。そして今資源獲得の世界戦略を着々と実施しています。
では世界はどうかと見てみますと、この上の線が世界全体の生産量を示していますが、この数十年で急速にのびていて、今ではこのピークの辺にいます。この図を書いた人は、もう2004年にピークを迎えたといっています。この点についてはいろいろな方が、いろいろなことを言っていますが、ピークを迎えるのは、どんなに遅くても2、30年先問いうのが大方の見方です。一方需要の方はインドとか中国のような、人口の多い発展途上国の経済が急激に成長しており、それが世界の需要を急速に押し上げています。需要と供給のアンバランスが生じてくるわけで、そのため原油価格の高騰が現在起こっていますし、金子先生が述べられたように、エネルギー資源の争奪戦があちらこちらで起こって、エネルギー確保のために戦争が起こるかもしれない。そのようなことが心配されるわけです。いま、石油のことを述べましたが、あと地下資源として天然ガスもあるし、石炭もあります。天然ガスにつきましては、これも石油より多少先まであるだけで、今世紀中には石油と同じ道をたどると言われています。石炭につきましては、量は多いのですが地球環境上の問題があります。
こういった話をしますと「石油はいつの時点でも30年後に枯渇すると言われていた。だから、まだまだ大丈夫だよ。」と言う人がいます。それは、30年前には確かにそのとおりだったのですが、今はもう厳しくなっています。この図は世界の巨大油田開発がどうなっているかを示したものです。実は世界の石油のほとんど9割はこれらの巨大油田からの生産でまかなわれています。ここで横軸は年代、縦軸は発見量、曲線は生産量です。これで見ますと、巨大油田の発見のピークは1960年代で、1984年以降は生産量が発見量を上回っています。最近の10年ぐらいは巨大油田の発見は殆どありません。ここで、問題は巨大石油がどんどん老化していることです。石油を掘る話を少ししますと、皆さん映画などでご覧になっていると思いますが、掘り始めは自噴といって、何もしなくても
どんどん噴出してきます。このような時期はほんの数年で終わり、後は次第に深く掘ってポンプで汲み上げる。そのうちにそれでも出なくなってくると、海水を突っ込んで石油と置換して掘り出す。それもダメになると、最後は炭酸ガスを入れて、油の流動性を上げて掘るという順をたどります。サウジアラビアは世界最大の石油生産国です。ここに世界最大といわれるガワール油田というのがありまして、大量の石油を世界に供給していますが、実はこの油田が既に炭酸ガスを注入するという状況にある。私たちはそんなことも専門家から聞いております。
では、天然ガスはどうか。日本の場合には液化天然ガスとして船に積んで持ってきます。
ヨーロッパの場合には、この図のように天然ガスのパイプラインが網の目のように張り巡らされています。天然ガスはそのパイプラインを通して、各国に供給されます。そのガスはどこから来るかと言いますと、ロシア、北海油田地帯、そしてアフリカからです。ところが去年の暮れに、ウクライナとロシアとの政治的な駆け引きの結果、ロシアがウクライナへのガスの供給を止めてしまった。その結果どうなったか。実はそのパイプラインはウクライナから、さらにヨーロッパまで通じていたので、ヨーロッパで天然ガスの供給が減ってしまったのです。ヨーロッパで深刻なエネルギー危機が起こったのです。そこで彼らも、初めて、自分たちの生殺与奪の鍵をロシアに握られていることに気がついたのです。
こういったことは日本では殆ど報道されませんが、ヨーロッパで原子力が最近になって見直されている原因のひとつに、こういったこともあるわけです。ネルギー危機には需給だけでなく、こういった政治的エネルギー危機もあります。
こういったことは根源的な問題でして、今原子力ルネサンスといわれていますが、これは決して一過性のものではなく、これからもずっと続くものだと、私は見ております。 以上で私の説明を終わります。
葛西賀子
ありがとうございました。原油の最大の油田がもう枯渇している状況とか、エネルギーを皆が握り合っているとか、私たちも、のほほんと電気を使っている段階ではないと言う気がします。いま、それぞれの先生方から教えていただきましたが、今年は特にエネルギーを取り巻く現状に変化が起きているという感じがします。原油高もそうですし、様々な政治的背景から原子力エネルギーへ向かう兆候が強くなっている、また、イランの問題、北朝鮮の問題、核拡散の問題ということもあって、また違った面からも今注目を集めているのですが、ここで「世界の中で青森・六ヶ所村を考える」という本題に戻りたいと思います。
今年の8月に日本政府は「原子力立国計画」というのを発表しました。先ほど、末永先生から説明がありましたが、これで一体何がどう変わるのか、いまひとつはっきりしません。私の考えでは、国がはじめて原子力で行こうという姿勢を示したということかと思うのですが。どなたかまず、口火を切って説明していただけませんか。
末永洋一
ことの経緯から、私から説明します。先ほども説明しましたが、昨年の10月に閣議決定された「原子力政策大綱「では、原子力との共生ということについて、5項目に分けて記述されていますが、読んでもそれはかなり抽象的だと、一定の方向性だけを示しているということです。さらに、今年の8月に発表されました「原子力立国計画」、これは「原子力政策大綱」を受けて、具体化についてかかれていますが、先ほども申し上げましたが、いま一つ、突込み方がたりない。私自身、審議委員の末席におりまして、こんなことを言うのもなんなんですが、突っ込み方が足りなかった。これはある程度、仕方がないことです。それは、これらには、全国をカバーすることが書かれているわけです。私が言いたいのは、それを受けながら、こと青森においてはどうするのか、そういうことを真剣に考えようということを、先ほどは言いたかったのです。私はこの原子力立国計画は大変に立派なものだと、はっきり思っております。資源エネルギー庁の原子力政策課が一生懸命にやった。特に、課長の柳瀬さんがよくやった。今月の5日にも、私たちの「考える会」の第3回の総会に講師としてお招きして、いろいろと教えていただいた。大変りっぱなものです。今まで事業者がやろうとしても、国がどうも、ちょっと引いてしまう。あるいは、国が引いてしまうと、プラントメーカーその他も引いてしまう。三すくみ状態と言っていますが、じゃあどうするのかと言うと、あるときには責任のなすりあい的なものになってしまっていた。先ほど、ここにおられる先生方からもお話があったように、原子力ルネッサンスというときに、これではもうだめだということに対して明確なメッセージを送り、今までのような状態に対して、国が先頭に立って引っ張っていくという、きちっとした楔を打ったのがこの原子力立国計画であると思っております。そういった意味で高く評価しているということを申し添えます。
葛西賀子
国がぶれないということを、三すくみでどうするねん、どうするねん、と言っていたのが、初めて同じ土俵の上に乗って、進んでいこうということを明確化したと考えればよいのですネ。いま、林先生がお手を挙げられたのでお願いします。
林 勉
この原子力立国計画、いま末永先生がおっしゃられた通り、大変立派なものだと私も高く評価しております。ではそれで本当に原子力政策が目に見えた形で変わっていくのであろうかということが気懸かりなのですが、私は確実にかわるのではないかと思います。それはどうしてかと言いますと、国の政策として、ぶれないということを明確に言っているからです。このことをキチンと言ったということが非常に大きなことです。もしぶれるようなことがあったら、我々としても徹底的に責めなければならない、そこは地元としてもそれに頼らざるを得ないわけですから。さきほどチョット話が出ましたが、三すくみ状態、これはどういうことかと言いますと、電力の自由化という中で、原子力も他の電源と競争していかなければならない、ただ原子力は初期投資が他の電源に比べて非常に大きいので、リスクも大きいのです。そのため電気事業者は投資意欲が減退する、ところが国としても社会の状況を見ていて、なかなか原子力推進の旗を振りづらい、またメーカーはメーカーとして電力さんの方針が決まらなければ設備投資もできないし、人的資源も確保しづらい、研究開発もできない、そんなことがあったわけです。今回、国がそんな状態から、一歩先んじて足を踏み出すといった。それでは具体的にどんな一歩を踏み出すのか、それは原子力立国計画の中でも触れていますが、電力の設備投資の軽減策をとるということで、例えば第2再処理の設備投資のために今から積み立てを認めるとか、原子力発電所の償却負担を平準化して、負担が一度に来ないような制度設計をするとかで、もう具体的に進められています。また、来年度の予算でも、色々な面で原子力関係予算が上積みされていますので、そんなところから、私は少しずつでも進められていく、そのように私は期待しております。
葛西賀子
どうもありがとうございました。それでは、河田先生。
河田東海夫
今回の原子力立国計画というのは、昨年10月に閣議決定された原子力政策大綱をうけまして、国としてもその中味をしっかり吟味して、今回その具体化を資源エネルギー庁でさらに検討し、国が先頭に立って原子力を進めるということを表明したものです。この段階だけですと、さはさりながら、予算をちゃんとつけますか、ということになると、財務省が冷たくなってということも、大ありなんですネ。ただ、国としてぶれないということを明言していますので、これは非常に良いし、末永先生も言われたとおり、地元振興の時にぶれないということが一番大切なのだ、ということです。
そこで、このぶれない政策をより、ゆるぎないものとするためには、そこに何かシンボリックなものが必要なのであって、私はそれは、まさに先ほど金子先生がおっしゃった「安倍総理に青森に来ていただく、六ヶ所に来ていただく」と。これは非常に大切なことであって、そのために我々もそれに向けて運動できればと思いますし、皆さんもそういう意味で頑張っていただけたらと思います。
葛西賀子
拍手をいただきましたが・・・。続いて藤井先生、お願いします。
藤井靖彦
先ほどの末永先生のご講演の中でも、「青森県の産業政策の中での原子力」というお話があったかと思いますが、ここにも蝦名副知事さん他、県の要職の方が見えられているということで、青森県が原子力のことをいかに大事に考えておられるかが分かります。
国の原子力立国計画に対応するような形で「青森県の原子力立県計画」というようなメッセージを発信していただけたらと思います。
葛西賀子
今日は県の原子力関係者も数多くお見えだと聞いておりますので、ぜひお願い致します。いま、安倍総理に是非、青森県に、六ヶ所に来ていただいて、アメリカのブッシュ大統領のように、皆様の前で演説しているところを全国中継してもらったら、どんなにか良いと思います。ところで、金子先生のお話にもありましたように、下北半島には原子力発電所、サイクル施設、中間貯蔵と三点セットが揃っている、世界でも珍しいエネルギー先進地域と言ってもよいと思います。ところが、末永先生のお話にもあったように、なんとなく、そういったエネルギー先進地なのだ、誇れるのだという実感が無いような気がするのですが。なぜ実感が持てないのか。そのあたり、この役割について考える最大のポイントだと思うのですが。 世界のエネルギー拠点の先進地として、この下北半島、六ヶ所が発展して、誇りを持って行くには一体何が必要なのか、チョット伺いたいのですが。どなたか。はい、林先生。
林 勉
六ヶ所が誇りを持つという観点はなかなか難しい問題でもありますし・・・。その前にチョット地方の役割という点について考える中で、皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。私自身、東京に住んでおりますので、なかなか地方の立場でものを考えることが無くて、今回このような機会を与えられましたので、その中で一生懸命に考えてみたのですが、門外漢として大変失礼な発言かもしれませんが、それだけに自由な発言をお許しいただけるものとして、少しばかりOHPで私の考えを述べさせていただきます。
地方の役割というものを考えた場合、中央、地方それぞれの得意分野で発展するということを考えるのが得策かなと思います。まず、中央は国の中心なので、国全体の政治、経済、外交を考える。地方は国を支える国策の展開を考えるということかと思います。一番重要な国策は3つあります。国防、エネルギー、食糧です。いろんな意味で地方が果たすべき役割があると思います。青森県を考えてみた場合、やはりエネルギー分野で突出しているということがありまして、原子力のフロントエンドからバックエンドまでフルスコープで対応できるという世界的にも非常にユニークな存在であるし、それ以外にも石油備蓄基地もありますし、エネルギー自給率の向上に大変大きな貢献をしているわけです。金子先生も述べられたように、日本のエネルギー自給率は4%、原子力を入れても20%しかありません。これを今後できるだけ向上させていかないと、これからの世界的なエネルギー危機の中で問題になると、青森県は自給率向上に大きな貢献ができるので、「エネルギー立県」という政策を立てますと、国の原子力立国計画の中で位置づけられる政策に合致する点が色々と出てきて、やりやすいのではないかと思います。
エネルギー拠点としての役割ですけれども、六ヶ所については再処理施設とか濃縮施設の拠点でもありますし、核兵器非保有国では唯一我が国だけに認められた権利なわけです。イラン、北朝鮮は国の存亡をかけて、この技術の保有に必死です。実は六ヶ所の保有する技術は大変なものだと認識する必要があります。今後、国内需要だけでなく、世界とりわけ東南アジアの需要に向けての発展の可能性が大きく、将来性が非常にあるのではと、思います。MOX燃料製造拠点としては、プルサーマル計画の最重要技術です。さらに、国際核融合エネルギー研究センターとして、将来、国際的エネルギー研究拠点としての発展性もあるのではないかと考えます。
そこで、エネルギー拠点の活性化、発展について考えなければならない。中央から押し付けられた迷惑施設という認識から、自ら参加・推進する事業という形で発展する道を模索する必要があるのではないかと思います。そのために、様々なエネルギーインフラ事業を創生するという努力も必要でしょう。こういうことをやった時に、施設が健全に推進されるということが新たな大きな発展に結実するということで、健全な推進に向けて注力するという仕組みが必要かと思います。原子力フルスコープ対応は今後大きな発展の可能性を秘め、国内対応だけでなく、海外協力事業も広がっていくことでしょう。それからエネルギー拠点の活性化、発展は今回の原子力立国計画の中にも織り込まれていますが、国の最重要課題であるわけでして、エネルギー生産地とエネルギー消費地の関係、つまりエネルギー消費地のために、エネルギー生産地がリスクを背負っているといった、被害者意識を是正することを考えるべき時期に来ているのではないかと、そのような気がします。ところで、全くの自分だけの、練れていない考えなのですが、エネルギー自給率貢献度に対応した税制等、地域住民個々人が享受できる新しい制度の検討したらよいのではないかと思っております。
このエネルギー自給率貢献度税制というのはどのようなものかということを、簡単にご説明します。まず都道府県別にエネルギー自給率貢献度を算出しまして、この中には、原子力発電所だけではなく、エネルギー関連施設なども貢献度に算入して、自給率貢献度の
全国平均からの多寡により、住民税などの徴収、配分ルールを決める、というものです。
こういうことになりますと、東京などは殆どエネルギー自給率がありませんから、私などは東京の住民は沢山払うということになると、生産地、消費地の不公平感の緩和に貢献する、このように考えたわけです。また、エネルギー施設の順調な運転が住民の個々人に反映できるシステム、そんなものができればと考えます。
葛西賀子
ありがとうございました。このほかに、河田先生は東海村に長らくお住まいなので、何かお気づきの点があるかと思いますが・・・・
河田東海夫
私自身、東海で仕事をしていますので、東海村は、いろんな意味で六ヶ所村の先輩といえるかと思います。昭和30年代の初めから原子力がはじまったわけですが、東海村の例をご紹介したいと思います。まず、東海の実情ですが、この地図は同じ縮尺です。勿論、東海村にも再処理工場があります。六ヶ所よりは大分小さいのですが、1977年より操業しております。ですから概ね30年になるわけですネ。再処理工場の直ぐ近くには国立病院もあります。元々、結核療養所だったんですが。こういった病院も共存しているのです。六ヶ所もここに中学校がありますが、結構距離がありますね。日本原燃さんの敷地は大きいですから。大部役場から離れています。東海村の中は割りと、こじんまりに、できています。ここからおそらく1000mくらいのところに小学校、幼稚園、そして我々の社宅も目の前にあります。それから、直ぐ近くに東海村名産の乾燥芋屋があります。年商3億とか、東海村産の乾燥芋として売り出しています。東海村は昭和30年代はじめからの、長い歴史がありますから、住民の皆さんと近い、関係にあるわけで、そういった意味で相互の信頼関係がよそのところよりも高い、そして俺たちのところは原子力研究のメッカだよといった誇りをもってくださる、それは「東海村は立派だな」ということを外に向かって発信する元気の素になる、そうすると、よそのところからも「おう!東海村に行ってみようや」ということで結構お客さんも来ると、こういう構図が出来上がっているわけです。残念ながらJCO事故などもあって、その自信も少し揺らいだこともありましたが、幸いまた皆さん、自信を取り戻しています。
例えばそのことの一例ですが、多分六ヶ所でもこういったことはもう始まっていることとは思いますが、我々も地域の皆さんと話し合いの場を設けている中で、こういう動きが出て来ています。「まあ、あんたらが説明するのはもういい。あんたらが説明することは難しいと、チョット俺らにも、もっと勉強させろ」と、お芋屋さんのおっちゃんが出てきて、俺のところではサツマイモ作っているんだけど、おらっちのサツマイモには放射能がどれだけあるんだ、食い物には放射能があるといっていただろ、俺にも測らせろといった話が出てきて、皆さん集まって勉強会を開いています。自分たちのものを測って、「あ、放射能というのはこういうことなのか」「それなら俺たちが、それを発信してやろうや」ということになって、色々なパンフレットを住民の皆さんが作って配ってくれる。これは何かあった時に「あ、それはこんなものだ」というように近くの人に相場観ができ、理解してもらうことができる、ものが分からずにあたふたせずに済む、ということで「まァしっかりやってちょうだいよ」といった具合に、事業者との信頼関係が深まるのですね。事業者も何かあったときに、お前たち悪い悪いとばかり言われるだけでなくて、これは子供と同じで、竹内元原燃社長さんもおられますが、企業でも褒められるとプライドが高くなる、悪いといわれるとだんだん頭が下がって元気がなくなる、そういった意味から、相乗効果をプラスの方向に高めるよう、事業者と地域の人達がお互いに支えあう、そういった構図が六ヶ所の元気の素になる、それを外から見ると、六ヶ所が輝いて見えるようになるのだと思います。是非そういう形をこれから作っていただけたらよいなと思っています。
葛西賀子
はい、ありがとうございます。六ヶ所村の収入役さんから現状をお聞かせ願いたいのですが・・。今地図で出ましたが、六ヶ所村の学校、病院といったインフラの整備状況とか、今のお話にありました村民とのかかわりとか・・・
種市秋光 (六ヶ所村収入役)
私からちょっと、簡単に説明させていただきます。まず、学校、インフラ整備でございますけれども、最近になって様々なインフラ整備を進めているところでございます。学校での教育につきましては、エネルギーの教育について、小学校、中学校において東北大学の大学院生が来て講義をしています。今月の23日にセミナーがありますし、そのような形ではエネルギーに関して、様々な勉強会等を催しております。医療関係ではこの前、原燃さんと八戸の労災病院が、何か、いろんなことで実習したということも聞いております。私たちの方でも診療所におきまして、先生の確保、最近では先生の確保は非常に難しいといわれておりますけれども、先生の確保、まあ十分ではありませんが対応ができるだけの体制が整っているものと、私たちでは思っております。
葛西賀子
はい、ありがとうございました。
河田東海夫
ご承知のとおり、東海村は人口が3万5千人くらい、いるんですね。もう、市にしてもいいんですが、東海村はかたくなに「いや、俺のところは村でいいんだ。東海村なんだ。」と今でもおっしゃっていますね。そういう、原子力の東海村であることを、皆さん、誇りに思っているからだと思います。おそらく、六ヶ所もそのうち、そうなるんだと思います。何十年たっても、俺たちのところは村だ、六ヶ所村だ、そういう誇りを持った時期がきっと来るんだと思います。是非、そうなっていただきたいと思います。
葛西賀子
六ヶ所の皆さんが村に誇りを持って、青森の六ヶ所村として、日本の六ヶ所村として、果ては世界の中の六ヶ所村として、誇りを持って行くのが私の理想なのですが、もしそうするためには、六ヶ所の人達にとりあえず、今、何に取り組んでいただきたいのか、ここで先生方に提言というか、そこが一番聞きたいところですよね。とりあえず、国には安倍総理に来ていただきたいというのは、さっき出ました。また、県の皆さんにはエネルギー立県について考えて欲しいいうことも出ました。では、ここ地元六ヶ所村ではどんな取組をしたら、世界のエネルギー拠点六ヶ所が実現できるのか、それについて先生方、お考えをお聞かせ願えませんでしょうか。末永先生。おねがいします。
末永洋一
若干横道にそれるかも知れませんが、先ほど林先生の方から、地方の役割について、中央、地方それぞれの得意分野で発展と、全くその通りかと思います。そういう中で、後で佐藤局長の方からお話があるかもしれませんが、青森県はエネルギー立県ということで、エネルギーについて確認しながら、発展ということを考えたらと言うことですね。さらに具体的には、22ページにありますが、税制といったものまで、私案ということでご提案があったし、河田先生からは東海村のそういう事例があったということです。ただ、私はもうちょっと欲張りなんですよ。と、申しますのは、これは六ヶ所の人と、種市(治雄)副会長と本当に真剣になって考えているのですが、交付金もいいだろう、税金もいいだろう、それによって地域の財政がよくなって、それを投資することで新しい事業を起こせるのもいいだろう、しかし、もう一つ、もっと贅沢をしたい。再処理の特許、ノウハウ、人材をなんとか活かしたいんだ、活かして新しい事業を作りたいんだと、つくづく思っているんですよ。それがあることによって、例えば原子力エネルギーの産業だけでじゃない、それと連動したような形において、理想ですよ、理想だけども様々な、また新しい事業が起きる、あるいは関連して自分たちのそういう特許やノウハウ等々を見ながら、自分たちはどういうイノベーションを図ることによって、こういう事業に展開できないかそういう仕組みづくりが、多分これから青森県、ましてや六ヶ所、六ヶ所は種市副会長がかなり一生懸命にやっているんですが、やっぱりそういうことになるんじゃないか、という気がするんですね。と申しますのは、ここにも林先生も書いておられるのですが、要するに中央から押し付けられた「迷惑施設「という認識から脱却するんですね。そして、自ら推進する事業、単にエネルギー産業という事業でないものも、やはり私は含めて行きたい。もう少しそれに関連する波及的な効果を持ったものも考えていきたいと思うわけです。でなければ、チョット長くなりますが、やっぱり正直申しまして、さっきも口を滑らせたような形の「交付金なんていうのは・・」と言いましたが、おそらく日本だけなんですね、交付金制度というものがある国は。ああいうものを何時までもやっていますと、結局、もしかして危ないから、迷惑なんだからといった発想からなかなか抜けきれない、という風に思うんですよ。現実に私も一箇所だけですがあるところに、視察に行きました。そこの自治体はとにかく、交付金を上げてもらうことに汲々としている。私の印象ですけどね。ああはなりたくないなと、今年の8月10日に思いました。8月10日と言っときますけれども。そういうことになりたくないなと、言うんですね。それだから私は、繰り返しになりますが、どんなに苦しくても、これから六ヶ所村、そして青森県、せっかくこれだけのものがあるんだ、そこの資源というもの、だから私たちの「考える会「では原子力施設を地域固有の資源と、地域資源と位置づけたんです。その中において、それを最大限、活用しようという方向性を、苦しくても考えて行かねばならない、つくづくとそう思っている、それをもう一度強調したいと思います。
葛西賀子
あの、先生。「地域固有の資源として活用する」ということは、具体的にはどのようにして行くのでしょうか。
末永洋一
それを今考えているところです。つまりですね、今までは原子力施設というものを、地域の施設、地場産業ともいいますが、として捉えたということが無かったのです。つまり、簡単に言いますと、あれは地域とは必ずしも関係しない、つまり、持ち込まれた施設でしかないんです。そこから我々は脱却しなければならない。だって、本当に地域にあるんだから。例えば青森県において農業、たとえば農業というのは農業だけではない、他のところと様々な形で経済連関しますよ。同じように、原子力産業というものも、様々な形で他の産業と連関するようにしたい。その時の拠点としてあるのがエネルギー産業だよ、それが地域固有の資源だよ、ということです。
葛西賀子
先に河田先生お願いします。
河田東海夫
私ども原子力機構というのは国のお金を使って、皆様方から頂いた税金を使って原子力の研究開発をする機関です。昨年の10月に、旧日本原子力研究所と旧JNC、この前身は動燃ですが、合体してできたのが日本原子力研究開発機構です。我々の新しい組織でもその前のJNCの時代にも、それだけ色々国民の税金で研究開発させていただいたので、その中でできた特許、勿論我々は原子力のためにやっているんですが、これを社会還元できないかということを検討し始めました。ビジネスコーディネーター制度というものを作って、これをできれば地元の企業の皆さんと色々話し合って、そちらで役立てていただけそうなものであれば、あるかたち我々協力いたしましょう、ということを始めています。私たちは、最近青森の事務所を若干強化しましたので、そういったところを通じて、是非こちらの議論の中に参加させていただき、それが、現実に何かの役に立てればいいなと思っております。
葛西賀子
おまたせしました。金子先生、どうぞ。
金子熊夫
いよいよ議論が一番核心的な部分に入ってきたわけで、本当はここで六ヶ所村か青森の方に発言して頂けたらよいと思うのですが。私も実はこの20年、30年とあちこちの原子力の地元を回って見ているわけですが、茨城県、ここには東海村と大洗町があります。それから福島県、新潟県、さらに福井県。色々なところに色々なケースがあるので、一概に言えませんが、私はこれらの県を回って非常に感じますのは、さすがに東海村、茨城県の場合には歴史が長いですからね、日本の原子力と同じくらい東海村の歴史は長いわけですから、色々なことがあったわけですけれども、本当に原研とか、動燃とか、今は合併して日本原子力研究開発機構に一本化されておりますが、私は傍から見ていて、うまく行っているなと思うのですね。それに加えて、地元の人々も、例えば大洗町の小谷町長さんなども、大変一生懸命やっておられる。それから東京の大学とか研究所の側も非常に茨城県、東海村には皆さん入れ込んでいる。皆さん色々な?がりができているわけですね。それと、何といっても原研と動燃、現在の原子力機構ですね、今でも東海村に本拠をおいているわけですが、地元に相当溶け込んでいて、地元の人々と一緒に考えて行けるという雰囲気がある。傍で見ていて、そういった緊密な関係があることを強く感じられますね。それから福井県でも「もんじゅ」のトラブルがあったり、関西電力の美浜発電所での事故とか色々あったわけですね。その分、関西電力も原子力機構も、長年非常に苦しんできているわけです。そういう歴史が有る。そのような厳しい状況の中で、必死になって考えて、何としてでも地元の人に理解し、信頼してもらわなければならない、そういった気迫みたいなものがあるような気がします。特に「もんじゅ」の事故以後は、なんとしてでも、できるだけ早く再び「もんじゅ」を立ち上げたいと思っているわけですから、原子力機構にも非常に気合が入っているように思うんですね。
翻って、我が六ヶ所村について言いますと、私は実はある意味では日本原燃さんは今一番、胸突き八丁のような、きつい時期にあると思うのです。現在のアクティブ試験がうまく行って、来年めでたく本格稼動に入る、400メートル競走でいえばまさに第4コーナーに差し掛かったところということで、大変重要な時期です。ここでやっぱりお互いに協力して頑張りませんとね。私も東京でテレビや新聞で見ていますと、色々なことが次々に報道される。ちょっとしたことでも、すぐ報道になる。その度ごとに原燃さんも、青森県の側でも三村知事以下皆さん、対応に追われてですね、こんなことを言うと叱られるかもしれませんが、何かそういう一つ一つの現象に追われてですね、お互いがなんとなくいがみ合っているというか、あるいは虚々実々の駆け引きをしているかような印象を受ける。そこに信頼関係がまだ十分できていない、と言うと、少しきつい言い方ですが、率直に言ってそういう感じがします。
今後再処理工場の作業が順調に進み、安全の実績が積み重なって行けば自然に双方の信頼関係はできて行くと思うのですが、それには当然時間がかかる。その間に、私たちは、当面の事象だけにとらわれるのでなく、もう少し中長期的な視点で、いい関係が育って行くようなことを積極的に考える必要があると思うのです。私がさっき基調講演の最後で申し上げた、例えば「青森エネルギー万博」を開催するというような話も、これは六ヶ所村だけで頑張ってもできない、青森県だけでもできないかもしれない、近隣諸県や、当然ながら国、政府の強力なバックアップが要るわけです。そういう意味では、青森県も日本原燃も今後一層前向きに協力していって欲しいと思います。とくに日本原燃には、地元との共生ということは日頃真剣に考えておられることとは思いますが、来年から本格操業に入るわけだから、今後だんだんギアーを切り替えて、この問題について一層しっかり考えてもらいたと思います。
さらに何よりも大切なことは、パネリストの諸先生が言っておられるように、地元の方々もいつも受身であれをしてくれ、これをしてくれというばかりではなく、自分たちも頭を使って色々やってみる、一緒に考えていくという姿勢が肝要だと思います。実は今回のこのセミナーもそういうことを、これから地元の立場に立って一緒に考えて行こうという、その努力の第一歩ということで開かれているわけでございます。
他方、日本原燃に対しては、うまく安全に本格操業に入っていけば、地元の信用も高まる、そして、そうなれば原燃に対する国内の、さらに世界の信用も当然高まる、そうなれば原燃も胸を張っていける、地元もそういう原燃を見て頼もしいと思うようになるでしょう。そうなって行って、初めて両者の間に健全な関係ができ上がって行くと思うのです。今は言うなれば正念場、胸突き八丁、苦しい時期ですが、そこをお互いにしっかり頑張って乗り越えて、前に進んで行かないといけないと思うんです。
葛西賀子
えー今金子先生から地元の声も是非というお話でしたが、地元も良く知っていて、そして私たちのこういった目線でも見ることができる、先ほど手を挙げてくださった日本原燃元社長の竹内様。今六ヶ所村で産業資源としてこの施設を何とか活用できないかという話なんですけど。一言、お願いできないでしょうか。
竹内哲夫
改めて自己紹介するほどでもないのですが、顔は売れていというか割れている竹内です。当地で5年弱社長をやらせていただき、その後、原子力委員を3年ほど、その後また2年ほどありますので、ここ10年間ほど、こんな問題を皆さんともども、やってまいりました。私自身、今日、六ヶ所は頂上を目指し、胸突き八丁といろ所ですが、いろんな面で六ヶ所をどうするかということを、個人的にも、また原子力委員の時は国としてもずっと考えてまいりました。今、たまたま、地元との関係ということが一杯出ておりますので、私なりに他の地点を見て考えたことを、六ヶ所の皆さんに特にお話したいと思います。
一つは、例えばJCOの事故のようなものが六ヶ所で起こっていたら、果たして捌けたかどうか。これは今、河田さんのお話で東海の紹介があって、あれは非常にチンケな、特異な事故なんですが、あれは東海村だったから捌けたと、私はそう思っています。この30年の歴史が、東海と六ヶ所ではうんと大きな差が有り、兄さんが東海なんです。最近はともかく沢山の人達が行き来しているんですよ。実は私の社長在任中に東海村でアスファルト固化施設という施設で火災、爆発がありまして、うちの日本原燃から約4名ぐらいの研修生が直に被爆に関係して、青森の新聞が大騒ぎしましたよ。よく調べましたらね、何のことは無い、天然の放射能の違いの四分の一程度しか被爆してない事が後で分かりました。ただ、事故直後の新聞はすごいですよ。日本原燃には対策本部は無いのか、そんな会社は何なのだ、とか言われまして、私などはぎゅーぎゅーとやられましたよ。そういうことも、ございました。あの事故を見ますと、今日の議論で一杯出ている問題を全部、包含しております。一つは河田さんも言われたように、放射能の単位といったものを、国民は全く知らないんですよ。電気のボルトぐらいだったら、1万ボルト、100ボルト大体わかるのですが、ミリシーベルトとかベクレルとかは全然分からないです。これも慣れないとね、報道が全くできてないから、全く意味の無い報道で踊らされているのです。これは昔の原子力船むつもその始まりなんですよ。この話はあまり長くしません。
もう一つは東海と六ヶ所を見ると、やはり東海村はうんと経験が多く枯れております。私は原子力委員やっていたから、さんざん東海村へ行って、人といろんな話をすると、やはり酸いも甘いも知っているんです。六ヶ所や青森で起こる問題はまだまだ非常に心配だなということが先に走りまして、心配だなということが先に走りまして、そのために大きな精力を使う。ごく最近では、隣県の岩手県の方ですね。わずか離れている所だけで、もう心配だ、心配だで、日本原燃の皆さん方が再々行っても、もうお前ら来てもダメだといって、お百度参りしても話を聞いてくれないということが日本ではあるのですよ。そんなことが日本の国内であっていいかどうか、エネルギー危機が迫っています。まあ、岩手県を中傷する気は、私は全くありませんが、発電を全くしていないで、CO2を森林で吸着するのに、岩手県は日本一と威張っていてよいのでしょうか?そのように日本の中は、ばらばらなんですよ。
今日のエネルギー危機というのは日本全体の問題で、食糧問題とエネルギー危機は一緒に来ます。だからエネルギー危機が来た時は日本の食糧もアウトです。おそらく、円ドルレートもその時、またぐんと悪くなりますから。また終戦後に戻ってしまうんですよ。そういう危機も知らずに、人のことばかり言っていること自体、日本人はもうこの辺で目が覚めなければいけない。
次に、今チョット出ている話。ついでの話。いわゆる、地元で振興できる仕事は何か。私自身は社長の時代から、今でも主張していますが、この六ヶ所の、特に再処理事業が始まった瞬間、これから発展する仕事は山のようにあります。一番卑近な例で言いますと、再処理工場の色々な部品、これ、ボルトだとか、鉄板だとか、工具だとか、修繕だとか、そういうことがございます。六ヶ所の私の代の以前からお預かりしているような方々も、日本原燃の仕事が終わった後は、全員、そういう仕事で、いずれ六ヶ所工場を卒業したあとも、六ヶ所に町工場を作っていただいて、そこの社長になっていただいて、いわゆる六ヶ所の城下町を作る。これについては、東海をご覧になると、沢山の原子力関係の、放射線関係の仕事をやっている人達が県内にはネットのように発達いたしております。だからJCOの事故は起こった時もそれなりに捌けたのです。病院も含めて。原研もあったし。したがって六ヶ所も是非そういう方向で、正道を歩いただけでも、猛烈に沢山の仕事が有るんですよ。まだ再処理工場は動きだしたばかりですから、私が言っている仕事はこれからです。今準備の核になる人が、この中にも何人も来られています。そういう人達と一緒に正道を歩くだけでも、猛烈に沢山の仕事が新しく出ます。
ちょっと次の、派生的な話をします。地元で早く進めたらいいなという仕事は、放射線利用かと思います。放射線利用は実は、ニンニクの芽止めの問題は、私、勘違いしてました、私は青森産のニンニクが好きでいつも買っていますが、最近化学薬品のほうが危険で毒で使えなくなり、ジャガイモと同じにニンニクも放射線で芽止めできるんじゃないかと、と思い違いしていました。ジャガイモやコンニャク玉は皮のところ、放射線通るから殺せるんです。ニンニクやたまねぎは、下の根分岐のところから根が出る。あそこ殺しちゃったら根が全部ダメになる。これは私の勘違いです。
放射線については、福井県の若い方々とか、起業家の方がたと大分話しをしましたら、やはり、放射線なり加速器ですね、あそこは治療などもありますから。そういうようなもので、やるような仕事というのは割合早く、これについては今は原子力機構で一体ですが、旧原研の高崎で相当色々なものをやっております。こういったものは是非六ヶ所の方々も、見学旅行でご覧になって見て、あれもこれも皆、放射線を使っていることがお分かりになると思います。はっきり言って、旧原研の人はあまり言わないんですよね。言うと放射線を使っているものを買ってくれないって言うんですよね。冗談じゃないですよ。皆さんの衣類だとか、子供のオムツなんかも、放射線が使われています、治療も全部、消毒も放射線でやっています。ああいう産業はいずれにしろ、日本の国で原子力が進んでいる原子力県から企業化が進みます。青森も、これまでも茨城県とは姉妹関係で、今はもう沢山の人が、行き来していますからね。日本原燃を通じても、こっちから研修生が行ったり、向こうから支援で百何十人も来たり、結婚した人も沢山いますから。そういうところとタイアップしながらで急速に文化が進むと思います。私のことを一言申し上げると、これから再処理事業が本格稼動すれば、本業からも仕事が一杯出ることを強調したいと思います。どうもありがとうございました。
葛西賀子
はい、ありがとうございました。そうですね。それこそ企業城下町。なにか、直ぐ、できそうな気がします。先ほど末永先生から、能力、資格、技術がなければ仕事などこない、と言われましたので、企業城下町を目指すべく、資格、技術そのあたりに目をつけると起業できるかもしれませんね。それから、農業の方も芽を止められるとか、あと特殊ゴムの加工にも放射線が使われていたりしますので、旧原研の高崎研究所に行きますと沢山、そういう実例が見られるということで、そういうところに目を付けられると、青森県は食糧自給県でもありますし、爆発的に消費地に引っ張りだこになる可能性もあります。その他に何か、今できそうなこと。はい、藤井先生。
藤井靖彦
できそうなことというわけではないのですが。実は私も、大洗町、先ほど金子先生からお話がありましたが、東海村の直ぐ近くで、東京に近いところです。海岸があって、非常に海水浴で有名なところです。勿論、旧動燃、原子力研究開発機構の施設がありまして、その町から町の振興策について諮問する委員を頼まれました。その結果、こういう答申を出させてもらいました。「自然と科学が調和する町つくりを目指して」。あそこは観光が非常に大きな産業でもありますし、それと対立するような原子力開発ではまずいんですが、その原子力研究機関をベースにした科学技術を使った産業の振興と、それから町の自然に基づく観光と調和した町づくりを目指したらいかがでしょうか、ということを答申させていただきました。
私は山形県の出身で、今の仕事を退職したら帰ろうと思って、昔は山形県のまさにチベットといわれた交通の便の悪いところだったんですが、そこに家を建てて住むことにしています。最近は道路が良くなって、まあ簡単に行けるようにはなりました。その町で「東京の人が何でこんなところに来てくれるのだ」と言う話がありまして、「いや、この町は綺麗なのだ、美しいのだ」と言っても、その町の人には分からないのですね。何で綺麗なのか良く分からない。私、昔ちょっと、ウイーンの近くに住んだことがあるのですが、そこの雰囲気が実はここにあるのだと、ちょうど海抜400メートルくらいのところです。もう、ここはまさにヨーロッパの気候、六ヶ所はヨーロッパの気候でございますけれども、それを私は非常に美しいと思うと、こういうことは、なかなか地元の人には分からないということがあります。自分たちのところにある美しさ、これを活用していただければと思います。産業を開発するにおいても、美しいこの自然を守って頂けたらと思います。
葛西賀子
他に提言のある先生はおいでですか。はい、林先生。
林 勉
教育というのも一つの、地方として色々取り組まなければならない問題かと思います。ただ、いろんな学校とか、どこにでも有るような同じような学校を作っても、六ヶ所は他のところに比べて不便だとか、色々あると思いますので、同じようにやった時に、それがきちんとできるかという問題があります。そこで得意分野をそういう面でも生かすということで、原子力施設とか色々あるわけですから、技術者養成の特殊学校みたいなものを目指す、そういうことをやることによって、例えば原子力立国計画でそういう人材育成ということに対して、いろいろと支援するということが謳われていますので、そういう中で、上手く取り込んでいくということで、原子力施設があることで、これを活用して他ではできない色々な教育ができる、と言うことが生かせればと思います。海外でもこれから原子力が進展していく中で、海外でも人材不足、特に中国は人材不足になっていますから、うっかりしていると、日本の人材は中国に引き抜かれてしまう、そういう危機感もあるわけですから、そういう人材育成というのを、真剣に考えないと、これからの原子力は日本でキチンとできるのか、ということもありますので、そういったことを見据えて、そういった目的を持った技術学校を作れば、それなりの需要と発展の可能性が有るのではないかと考えるわけですけれども。
葛西賀子
はい、ありがとうございました。一通り伺ったので、私も一つ提言します。今、林先生の話にもありましたが、豊田市もトヨタの学校を作ったりしてますよね。六ヶ所でも是非、そういうのをやったらいかがかなと思います。実は私も青森生まれの青森育ちで、高校時代の友達の中にも六ヶ所で働いていると言う人が結構います。ですが、子供たちの教育のことを考えて、お父さんだけが週中は六ヶ所で働いて、休みの日だけ、青森の自宅に帰るという友人を私は2人持っています。やはり何か特化した学校教育ですとか、そういうものがあったら、それこそ誇りを持ってそこに住んでもっと密着していけるのではないかと思います。いかがでしょうか。
それから今日午前中に、日本原燃さんの建屋を見学させて頂いたのですが、高レベル廃棄物を貯蔵しているところで、自然の風を使って冷却しているんですよね。入ってくる空気と出て行く空気の温度差が40度位あるのです。あの暖かい空気を何かに使えないかなと、18年間、雪に苦しんだ青森っ子としては考えました。青森まであの暖かい空気を送ると、ロスがありますので、それこそ温室とか、何かただ空気中に出すのはもったいないな、という気がしました。やはり、もうちょっと原燃さんと膝を割って話してみると、そういった起業とかお金になりそうなこととか働き口がが、沢山有るような気がします。そんなことも、是非、考えていただきたいなと思います。
さて、金子先生から、私たちの話はもうそろそろ御仕舞にして、皆さん、日頃いっぱい質問をもっていらっしゃるから、これから先、50分までですので、30分ございます。この30分間、セミナー、勉強会ですので皆様からどのような質問でも結構です。あの、先生方、答えて下さいます。先生方が答えられない場合は、先ほどの竹内元社長さんもおられますし、中に沢山専門家の方が、こうやって拝見いたしますと、おられますので、知ってるよと言う方はこうやって手を挙げて、答えていただけたらと思います。それでは、真ん中の手を挙げておられる方・・・。お名前を言って、それから質問をお願いします。
荒谷美智
六ヶ所村の文化協会におります荒谷と申します。先ほど来、末永先生が強調されておられる「再処理工場は地域資源である。それを発展的にしなければ、宝の持ち腐れだ。」という意味のことを、繰り返し、繰り返しご発言されていましたが、私も全く同感でして、それをどうしたらよいのか、ということなんですけど、何と申しますか、使用済み核燃料と高レベル廃棄物の区別ができていない面も有ると思うのです。それは新聞が悪くて、核の廃棄物の置き場にするのかの一語に尽きるのです。それを跳ね返す教育、原子力PAのレベルは低いと思います。ですから安倍首相が教育再生会議を作ったのに呼応して、県では教育再生会議の放射線教育版を作って、教育しなければだめではないかと思います。それについて、もう一歩踏み込んだご意見を末永先生から伺えたらと思います。
葛西賀子
末永先生、お願いします。
末永洋一
踏み込んだ意見は残念ながら持ち合わせておりません。ただし同感していただきまして、ありがとうございます。私たちの「考える会「には法人も合わせて400名ほどの会員がおりますが、今ご発言になった方、お名前を忘れて申しわけありませんが、皆、同じような考えでやっております。先ほど非常にヒントになったのは、竹内元社長さんが、東海村ではある意味、企業城下町ができたぞと言われたことです。私たちは多分、企業城下町が良いか悪いかは別として、そういう形で様々な資源、この資源というのは生意気なようですが、マイケル・ポーターのクラスター論の資源、つまり、技術、技能、人材、資金、いままでの歴史といった全体を含んだものですが、そういうものの中のどこかを利用しながら、新しい事業を起こしていく。そうすると、自ずから、城下町かどうか分かりませんが、様々な軸ができるはずなんですね。それを私たちは何としてもやりたい。竹内元社長さんから、ヒントをいただきましたんで、また、藤井先生から大洗町のお話もありましたんで、この辺もこれから十分に検討しながら、では六ヶ所村でなにができるのか、青森県では何ができるのか、そういったことを様々にやって行きたいと思います。
また、河田先生から原子力機構のこともご紹介いただきましたが、今日は青森事務所の鈴木所長さんもお見えになっておると思いますが、この間にも来ていただきました。そして、機構の方ではこういう形でやりたいんです、ということをご紹介いただきました。我々役員には。それを会員、全員のものにしていきたいと考えておりますし、あるいは今度11月の10日に、八戸に私のやっているもう一つの民間の研究会があるんですが、そこでも何とかドッキングさせようとして、色々そういった特許の問題なんか話し合って、出していただきたいといったことも考えております。やがて、多分、原子力施設が持っている様々な資源、それが六ヶ所村あるいは青森県の産業振興の、ものすごく貴重な財産になり、そこから発展すると強く思ってやっていくつもりですから、どうかご協力いただきたいと私のほうからお願いする次第です。ありがとうございました。
葛西賀子
藤井先生からどうぞ。
藤井靖彦
今荒谷さんから、「放射線教育が必要であろう」というご指摘ですが、これは全く日本の原子力行政のある意味での欠陥をご指摘いただいたということです。日本の原子力政策は始に作られた時に、エネルギー源だけと見られまして、火力発電所から原子力発電所に代えるんだということで、通産省が担当して進めた、そこから先の研究開発は科学技術庁が担当したということで、ここから旧文部省の教育がすっぽりと落ちてしまった。一般の教育の中で原子力を理解させるようなことができなかったのです。それは大学の方にも、いわば縛りがありまして、国の開発研究と大学の研究教育が分かれていることなど、いろいろありました。しかし、今は時代が変ってきまして、教育するにしても、地方自治体の指導というのができるようになりつつあるんだと思います。実際、大洗町なんかでも教育委員会がしっかりやっている、そういったところもありますので、こちらの村の方から、あるいは県の方から、放射線教育を教育の中に是非取り込んでいただきたいと思います。
葛西賀子
それでは、河田先生どうぞ。
河田東海夫
茨城県では例のJCO事故が起こって、住民の皆さんは本当にびっくりしたんですね。改めて、原子力と長い間付き合ってきたのですが、本当に放射線のことは分かっていなかったなと。これは村の方もそうだったし、県の方もそういう思いをして、その後に県が中心になって、原子力や放射線の本を作って、結構生かされているんですが、問題はもうちょっと広い場所でそういうものを教育しようとすると、素材はあるのですが、先生がよく分からないのですね。そうすると、自分たちが良く教えられないから、教科書があるだけで、なかなか本当の教育にはならないわけですね。私は原子力事業者の中には専門家が沢山いるのだから、もうちょっと積極的にそういった人達をそういった方面に使っていただいたらよいと思うんです。やはり、その先生の組合とかあって、そういう人達を入れることに、なんとなく抵抗があってうまくいかない。そういうこともあるとは思うんですが、是非、その辺住民の皆さんも、もちは餅屋がいるんだからうまく使いなさいよと、おっしゃっていただいて、もう少し積極的にやっていただけるといいんではないのかなと。残念ながら、今の文科省が直ぐに放射線教育を基礎から系統的に分かるよう名と頃までやる、というのはなかなかまだ、動けないと思うんです。今までのしがらみがありますから。そうすると、その必要性を感じている地元がもうちょっと積極的に動かないと、いつまでもこれは解決しない問題になってしまうと思うんです。ということから、皆さんももう少し声を出していただいて、行政もそれに協力して、実際の教育にはものの分かった専門家がいるわけですから、どんどん使ってもらう、そういう構図を是非つくっていただければありがたい、それは茨城でも東海村の真ん中だけで、周辺地域はまだまだなので、私たちもその必要性については感じています。
葛西賀子
そちらの男性の方、どうぞ。
石井陽一郎
「エネルギー問題に発言する会」の石井と申します。末永先生の六ヶ所村の固有の財産である再処理施設をもうちょっとアピールするという観点から、藤井先生に質問したいのですが、先ほどいわれました、使用済み燃料の中に、ルテニウム、パラジウム、希土類などが入っているということですが、これは使用済み燃料の特性なのでしょうか。それを利用する道は量的な問題も含めてあるのでしょうか。
藤井靖彦
それは使用済み燃料の特性です。ウランが核分裂しますと、だいたい二つの元素に分かれます。片一方がバリウムとすると、もう一方はクリプトンとか、色々な組み合わせがでてくるのですが、その中の組合せとして、ルテニウムとかパラジウムとかが出てきます。先ほど申しましたように、800トン処理しますと、2―3トンそういうものが出てきます。ただ、有効活用した方が良いのですが、活用するには色々な難しい仕掛け、技術が必要なんで、今までは、有効活用しないで捨てましょうということで、とりあえず廃棄物とする方に分類していました。次の機会には、技術開発の段階でそれを回収して使おうという考えが、十分にでてくる可能性が有ると私は考えます。技術的にもう少し細かい話をしますと、元素によってはその中には放射性物質が少し入っているものもある。その場合には使えるかどうかの基準を作ることもやらなければならない。放射性物質が全く入っていなければ問題ありません。回収とか、利用形態とかこれから色々研究開発が必要ですが、人類はそういった貴重な貴金属類を利用するという方向に行くのだと思います。
石井陽一郎
ありがとうございます。と言うことは、放射性物質ができるという特性があるわけですね。質問した理由は、実は貴金属類がエネルギー問題の影に隠れていますが、世界的にいくらも無い。一番持っているのは中国とか言われている。希土類はものすごく磁石の効果になっている原因だと言う話もありますよね。そんなわけで、利用できたらいいなと思い、質問しました。
特に白金は有用触媒として自動車の環境対策にも用いられる。使用済み燃料からこれら代替品がとれるのか、希土類のうちたとえばネオジムは強力な磁石に不可欠な材料で、今中国がそれをにぎっている例がある、とにかく使用済み燃料についての希少元素の調査、研究開発に目をむけるべきであります。
藤井靖彦
その技術を完全に開発するまでには、まだまだ相当な時間がかかるとは思いますが、そういう方向で技術開発を進めるべきだと思っております。
葛西賀子
ありがとうございます。マイクを一つ前に渡していただき、そこの女性の方。
笹川澄子
私は六ヶ所村にあります環境科学技術研究所の笹川です。2,3発言させていただきたいと思います。まずはじめは放射線利用についてですが、私の知人が出したデータによりますと、原子力発電による効果が7兆3千億円、放射線の工業利用が7兆3千億円でほぼ同じ規模です。医療への利用が1兆2千億円、農業利用が1千2百億円です。放射線の工業利用の内訳は、半導体工業が一番大きく、二番目が自動車のタイアの強化に使っているということで、工業分野での放射線利用は我々、一般人の目に触れないところで、極めて大きいということが、もう調査の結果で出ています。次は質問ですが、私の専門は放射線の人体影響、健康影響でありますので、原子力工学とか原子力技術には疎いのですが、よく説明に使われる原子燃料サイクルの図を見ますと、ここの日本原燃で濃縮された原料はどこか加工工場が有るところに運んで、そこで燃料に加工して、原子力発電所に運び込まれているのですね。ここの六ヶ所村で発電所で使う形に加工しないのは、なぜなのか私にはよく分からないのですが。もう一つ質問ですが、六ヶ所村の役割と言うことを考えた場合、ここの近くには石油備蓄基地があって、51基の石油タンクが並んでいて、日本に石油が入ってこなくなった時、日本の消費量の何日分がそこに有る、ということでわかりやすいのですが、日本原燃の濃縮作業と言うものが、日本の発電に貢献するパーセンテージがよく分かるといいかなと思いました。
葛西賀子
これはどなたにお答えをお願いしたらよいのでしょうか。原燃さんに答えてもらったらよいような気もするのですが・・。どなたかお答えいただけますでしょうか・・・・すみません。竹内さんお願いします。
竹内哲夫
これは、私は今、原燃の社長ではありませんし原子力委員でもありませんので、大変個人的な話ですが、幾つか今言われたことの関連で話しますと、まずは放射線利用については、言われたとおりです。放射線利用で作った産品の方が、電力で原子力発電しているよりも、金の面では放射線利用の方が上です。放射線利用については、これから利用の枠をひろげるポテンシャルが一杯ございますので。こういう関連の事業者の悩みは私、全部聞いています。これは放射線を使ってやっていますと言った瞬間に、物が売れなくなってしまうんですよ。私がきつく言われているのは、とにかく身に着けるものについては、言わないでくれと言われてます。ご婦人が一遍に買わなくなると。子供のオムツ。これ全部やっているのです。女性の生理用品を含めて、あとは注射器とか全部、放射線で滅菌してます。これは放射線にたいする、いわれなき不安感というのが、まだまだ日本では蔓延しております。これは、放射線教育を元からやって、いいものはいい、ということで、使うようにしなければいけないと思います。もう一点、これは質問の意味合いを推察するとおそらく、ウラン燃料を普通の燃料にするまで、専門用語で再転換のことを質問されたのではないかと思います。あれについては、私は専門ではないが、JCOの事故が起こってから、三菱系の燃料工場はやはり東海にあるのですが、またもう一つ大阪の方にありますが、現状は再転換の仕事については日本でやや不足しております。JCOの事故がおこってから。ですから不足の分については、現在、再転換に外国に依頼する事が続いております。これを国内でやるポテンシャルは十分有ると思います。私来てからの日本原燃のとき、過去に遡って、これも六ヶ所の仕事でやりたかったという方が青森にはいたということを聞いています。私も社長の時代、原子力委員も辞めてから時間がたっており、現状把握はしていませんが、この可能性は十分あると思います。そういう面で、原子力という面での流れ、専門の流れは茨城県と青森県、特に下北半島は流れに乗りやすい地域だと思います。
あと濃縮のシェアーは私、よく分からないのですが。おそらく、日本原燃が作っている濃縮ウランの日本でのシェアーがどれくらいかと言う、そんな質問かと思うのですが。これ自身は今、そんなに大きくないと思います。
笹川澄子
あの、私、試算したら10%という数字がでて、本当かな、と思ったのですが・・・
竹内哲夫
これ、今あまりさだかではありませんが、私の代から不調で台数が止まって、ずっと気にしてるもんですから、私も答えにくいところで、この辺でご勘弁ねがえればと思います。
葛西賀子
今の10%について、前の方でも声が上がっていますが。
河田東海夫
もともと、原燃さんのあの濃縮工場を作った時、当時日本の必要量の三分の一くらいは国産でやりましょう、と言う議論があって、大体その規模を狙ったんだと思います。ちょっとその後、変わってしまったかもしれませんが。その後、原燃さんも色々な問題があって、最初のものが段々リタイアーしてくると、おそらく、当初三分の一の能力を目指しましょうという能力の、さらに三分の一、三分の一掛ける三分の一ということですから、大体10%かそれに近いところ、というように私も考えています。そこは原燃さん、もうちょっと、正しい数値があると思いますが、1割かそれよりも、もう少し下かと思います。それから、原子燃料サイクルというのは、やはり色々なものが繋がっているので、私は六ヶ所で再転換を持たれるほうが長い目で見ると、原燃さんのためになるのではないか、またそういった専門家の議論の中でしても良いのではないかと思います。非常に長い目で見た時ですね。今直ぐ必要かどうか、というのは別ですね。
葛西賀子
続いて一番前で。はい。
佐藤光彦(青森県エネルギー総合対策局長)
時間も少なくなってきましたんで、一応、県もなにか言えと言われているみたいな気がしたものですから。まず、「エネルギー立県」の話に関して、この辺に関しましては、我々としましては、原子力を含めて県内のいろいろな自然エネルギー、風力も様々あります。これを、エネルギーポテンシャルだという捉え方をしております。この考え方は先ほど来、末永先生の言っておられるクラスターという考えに基づいてやっておりまして、単にハードでない、ソフトだと。それから、色々な研究所が来ておりますから、その研究所が持っております特許、それを使ってとか、そういうものを含めてエネルギー産業振興戦略を作っております。来週中にはとりまとめたいと思っております。その中の委員には、末永先生も入っておられます。ただ仕上がりとして、末永先生も言われている、本県の産業振興なんだから、そうするとエネルギーの特性はどこに有るのか、という話なんですが、ただ、話のはじめ、県の長期プランを作る時に、確かに原子力をどう扱うかということは、結構考えました。ただ、それをストレートに県の産業に繋げていけるという言い方は、なかなかできない状況にあったのは確かです。それを今、新たにそういうものを先々の一つの産業の芽に、本県として使っていくべきだし、また使える時期に来ているだろう、という思いで戦略作りに入っております。本県としてはそういう意味で、そういう形で動いているということを、まずご理解いただけたらと思います。ただ、これはなかなか難しいというか、一つ一つをどう仕上げるか、また地域、地域の特性もありますし、我々からしますと六ヶ所だけでなく、下北と言うこともありますし、六ヶ所で起こっていることを、県内全域のいろんな、原子力に直接関係無い産業の中にもどう活用して、そこを伸ばしていくか、全体で行きませんと県のものは、なかなか上がらないといったことがあります。そういった考え方で、今やっております。
それから、あと原子力を受け入れてくるという時の東海村の色々な経験もありますけれども、本県が今置かれている状況からしますと、まずは原燃さんに今のアクティブ試験をしっかりやっていただく、先ほど、金子先生が言われたとおりですけれども、そういう中でお互いの信頼関係、それにある意味で慣れるというか、成熟して行くといいますか、まさにここが正念場だと思っております。ここを、きっちとやって、お互いが信頼できる、ないしは、それがどういうものかということを理解していく、そのためには知識というものを身に着けなければなりませんけれども、まあ、その中に教育といった問題も絡んできます。学校現場やるとなると、カリキュラムなどもありますので、放射線だけをはめ込むのは、なかなか難しいです。青森県は食糧も供給しているので、食の安全という問題についても、どうも学校での教育が不足しているという思いもあります。大きく言えば、エネルギー全般に対する知識がまずないという問題もありますから、それをどうやっていくかとなると、学校現場だけでなくて、大人の教育も、トータルにやっていかないと、なかなかものが進まない。学校の先生だけ責めて、あんたたちの教育が悪いとわけにはいかないなと言う部分が有るなという思いがしております。そんなことで考えておりまして、そういう意味からしますと六ヶ所といいますか、核燃が本県にあるということからしますと、ひとつの、ステップアップできる時期に来ている。
ただし、そのためには、より慎重に、まさに今六ヶ所でおこなわれている事業がきっちと行われていくことが一番大事だし、そういう意味では我々やっていただいて、その先に進んでいくのでは、という思いでやっています。県が余り最初から発言しますと、まとめになってしまいますので、そういう思いでありまして、先ほどから末永先生が言っておれらることは、日頃われわれが叱咤されていて、その中では同じ思いでやっております。ただ、末永先生は原子力というところで考えていただいていますし、われわれはそれを含めたエネルギーを本県ではどのように活かしていけるか、というところでやっております。まあ、一言。
葛西賀子
ありがとうございました。県の総合エネルギー対策局の佐藤局長にお話をうかがいました。時間がきてしまいましたので、あとお一方。はい。真ん中の方。この方で。本当に申しわけありませんが、皆様方、たくさん質問をお持ちだと思いますが・・
寺島豊美
むつ小川原原燃興産の寺島と申します。ひとつお伺いいたします。9月の5日に総理府と文科省と経産省が現在日本にある管理しているプルトニウムの量を原子力委員会に報告しました。現在、日本に6トン、フランスとイギリスに預けて有るのが38トンで、合計して44トン弱ありますと発表しました。まあ、修正したということです。今から十数年前、1991年ですが、原子力委員会は日本は余剰のプルトニウムは持たないと言う政策を発表して、これが言わば国是みたいな形でずっと来ております。当時はこのプルトニウムにつきましては、東海の再処理工場やもんじゅで消去しますから、需給バランスは取れていますよと、こういうような形をとっていたはずなんですよね。ご存知の通り、95年に「もんじゅ」の事故があって、全然稼動しておりませんから、需給バランスが崩れたというわけです。来年の夏からは、六ヶ所の再処理工場がフル稼働するようになると、年間4トンほどのプルトニウムが生産されるようになるわけです。それから、プルサーマル計画では六ケ所工場から出てきたプルトニウムは、MOX工場で加工するということになっているわけですけれども、MOX工場は今の六ヶ所再処理工場に隣接して建設し、平成24年から稼動することになっております。ここにタイムラグが生じるわけなんですけれども、そうなりますと出来上がったプルトニウムはしばらくの間、貯蔵しておかなければならないと言うことになります。
長期間貯蔵しておきますと、プルトニウムについては3つほど難点が有るといわれております。ひとつ目は、長期間貯蔵すればするほど、金がかかるということです。テロ対策の問題もあります。二つ目は燃料として劣化の問題があります。プルトニウム241は長期間貯蔵しますとアメリシウム241に変り、燃料として核分裂しにくくなり、ふさわしくないという問題です。3つめはIAEAとの関係で先ほど話しました、余剰プルトニウムを持たないという政策で言いますと、余剰が生じてしまうのではないかということです。最近では、余剰とはいわずに、使用目的の無いプルトニウムは貯蔵しないと微妙に変化してきていますが、そうするとIAEAはプルトニウムについてはグラム単位までチェックをするんですね。というと、IAEAは六ヶ所のプルトニウムに対して、どのような態度をとるのか私の中に疑問が生じるのですが。さきほどの河田先生の話では、六ヶ所工場では純粋なプルトニウムではなく、ウランとの混合物なので、平和利用のためだから、核兵器転用はできませんよということで、使用目的が有るから問題ないとIAEAが認めるのかどうか、それが私の疑問です。これに関連して、需給バランスからいうと、六ヶ所工場は来年からフル操業できるのかというのが、私のもやもやとした疑問です。よろしくお願いいたします。
葛西賀子
河田先生からお答えをお願いします。
河田東海夫
確かに、日本は余剰プルトニウムを持たないというお話、原子力委員会もそういった言い方をしていて、今は使用目的の無いとか、変ってきてはいますが、これは一方的に日本がそのように表明しているものです。要するに日本は平和利用の目的のための核燃料サイクルですから、そういう意味で疑義を持たれるようなものは持たないようにしましょうという姿勢の表明なんですね。したがってIAEAから特にそういった義務を課せられているわけではなく、IAEAはもうすこし別のやりかたで、日本がこれを転用するおそれがないかどうか非常に緻密に調べています。IAEAの役目は日本がそれをいくら持つかということに興味を持つことではなく、日本がそれを核兵器に転用するおそれがあるかどうか、そこをきちんと押さえれば役目が果たせるわけですから、IAEAとの関係はそういうことで、非常に信頼は得ています。それから、外国に預けてある38トンはまさに核兵器国に預けてあるわけですし、持ち帰るとなると、アメリカとの関係で持ち帰るための、いろんな手続きをしなければならないわけで、有る意味では、すぐに使えないプルトニウムを核兵器国に預かってもらっているというそういう構図に近いですね。
これは、昔から国際プルトニウム貯蔵という概念があって、余剰が生じたら、そういったものを預けるメカニズムを作りましょう、と言う議論が国際的にあったのですが、当時それが本物にならなかったんですね。私はフランスとイギリスに預けることによって、実態的にそれができていると思うんですね。そうすると後は、日本の中に溜まるプルトニウムを後処理できるのですか、ということになる。これはまさにプルサーマル計画をしっかりと進めてもらう、私たちの「もんじゅ」をしっかりと立ち上げて使うということになります。そういうことで我々の方もさっき言った6トンとかのかなりの部分は我々が持っているんですが、もう少しで「もんじゅ」が始まりますとプルトニウムが足りなくなって、原燃さん、早くちょうだいよという状況になってきます。ご承知かと思いますが、九州電力や四国では県の方も含めて、プルサーマルはOKですよと、おっしゃってくれていますので、それも動き出す。それから、我々はバッファーと言っていますが、実際に工程、例えば核燃料工場が流れる時、予備量を持っていない操業というのはないんですね。ですから、例えば今これから六ヶ所でつくる核燃料工場は130トン/年ですか、そういった規模ですが、そこにどこまでプルサーマルで使えるという道がどれだけ早く開けるかということにもよるんですが、そういうものが始まれば、徐々にそういうところに掃き出せる道が開ける。青森県の中に大間原子力発電所ができればフルモックスコアーですから、日本全体としては、そういったものを前に進めていくと、有る時間の中ではそういったものを解消できるという見通しは立っているんですけど、その立ち上がりの過程で直ぐに捌けない部分がでることは事実で、そこのところはバランスを見ながら進むんだ、と思うんです。フランスなんかは、百何十トンプラントですか、メロックスというフランスのMOX工場があるんですが、確か彼らは4,5年分のバッファーはいるよと言っています。例えば、溜まった分が100トンになったとしても、びっくりすることは無いと。再処理工場だってトラブルを起こさないという保証はない、そういうことに備えて、ある一定量をバッファーとして持っとくということが、全体を円滑に流す非常に大事な部分ですから、そういった意味で20トンとか、30トンとかいうのは、そういうものの内数であると私は見ています。
金子熊夫
時間もありませんし、河田さんのお答えで大体尽きたと思うので、簡単に一言だけ。今ご質問にあったような話は時々聞くんですが、これは大体グリーンピースとか反原子力グループがよく言っていることで、ちょっとおかしいと思いますよ。日本が「余剰プルトニウムを持たない」ということを最初に国際的に言い出したのは、1970年代後半、私が外務省の初代原子力課長をしていた時のことで、当時、日米の東海再処理交渉の続きのような格好で「国際核燃料サイクル評価」(INFCE)会議というのが有りまして、こんなことを説明すると長くなりますけれども、核燃料サイクルが核爆弾を作るのに使われるか、使われないかというテーマで2年半程、国際的に集中的に勉強をやったわけです。結局、まあ、いろいろな議論があったわけですけれども、プルトニウムが有ること自体が問題であるということではないと思うのですよね。また、「余剰のプルトニウム」の定義も国際的にはっきりしないわけでして、国によって違うと言うか、いろいろ定義がありますが、日本はもともと「使用目的の無いプルトニウム」という考えをしていましたからね。途中から日本政府の政策が変ったということでは一切ないと思うんです。それよりも、問題は今申し上げたとおり、原子力発電所からのプルトニウムが実際に核爆弾になるかどうかと言うのがポイントで、プルトニウムをしばらく使わないで寝かせておく、厳重に管理して寝かせておく、これ自体はちゃんと認められており、IAEAの憲章でも想定してますしね、問題ではない。問題はあくまでも、核爆弾を作るか、作らないか、その国の国際的なクレディビリティーの問題であるわけで、日本はご承知のとおり、長い間のまじめな実績が認められて、一昨年から別格扱いといいますか、「統合的保障措置」と称して非常に合理的な査察に切り替えられている。IAEAも日本にはお墨付きを与えているわけで、この点については、日本人が疑問視する必要は全くないですね。まあ、簡単に言えばそういうことです。
葛西賀子
ありがとうございます。もう一点ありますね。原燃さんの操業、云々。それについてはどなたか・・。アクティブ試験後の操業については、どなたか。
河田東海夫
あんまり沢山貯めて、長く置きすぎると、やはり今ご指摘があったとおり、アメリシウムという物質がたまって、少し放射線レベルが高くなるんですね。できれば、プルサーマル計画が円滑に動き出して、そのための燃料作りが早く始まるということを願う。もし、少し時間がたったときには、アメリシウムが積もる、その時には少しプルトニウム濃度をあげるということになるのかな、という気がしますが、その辺どう調整するかは、これからの問題かと思います。いずれにせよ、そういうことも含めながら、原燃さん、色々これから計画を詰めていき、全体をバランスとれるよう、ご努力されるのだと思われます。
葛西賀子
よろしいでしょうか。では、そこの方。
岡山勝廣
岡山といいます。今まで日本原燃さん、それから原子力、いろいろなセミナーそれから説明会あったんですが、これほど原子力は必要なんだと、今のエネルギー事情から必要なんだと言う話を聞いたのは、私の記憶では初めてなんです。と言うのは、六ヶ所村、先ほども話でましたけれど、迷惑施設を押し付けられたと、そういった考え方があったんですが、私はそうではないんだと思うんです。必要な施設が、たまたま六ヶ所の条件が良かったから六ヶ所に来たんだと、村はそれを受け入れて一緒にやっていこうと、共存共栄、共生してやっていこうという道を選んだわけです。それで今現在まで来ています。しかしながら、日本原燃さんを巡るいろんな問題の中で、どの会、説明会に行っても反対派の意見が99%、その中で賛成意見をこれ、意外に出せない、出しにくいというのか、そういった雰囲気がずっと続いてきたと思うんです。今年のアクティブ試験の説明会もそうでした。殆どが反対意見、それに対して、県、国、事業者、本当に丁重に答えておりました。
しかし、六ヶ所村の村民もやっぱし考えたんですね。また、いわれなき、事実はないと思いますが、風評被害の問題も出ました。それに対しても丁寧に答えていました。あれは全く作り上げられた話だったんですね。事実じゃなかった。六ヶ所もいまだかって多分なかったと思うんです。原子力誘致、立地のところですね。農民自体が立ち上がって、それは違うんだと、風評被害おきてないよ、あなたたちの言うことは違うんだということを、マスコミを通じて、また本人たちにも抗議文を出しました。だんだんと、今状況は変ってきているんです。六ヶ所村は先ほども出ましたけれど、六ヶ所村は基幹産業が農業なんですね。農業、畜産業、漁業。4つめに日本原燃さんは基幹産業なんだという認識に今、立っていると思うんです。勿論、私もそういう認識に立っています。だから皆様もやはり先ほどの話にもあったように、これが来たことによって、様々なビジネスシャンスに恵まれてきているし、これを活用すべきである、という風に考えております。僕はいつも考えていますが、六ヶ所村に迷惑施設が来たんだと、核のゴミ捨て場になったんだ、そういった表現というか批判があるのは非常に残念なんです。ここが無ければ日本のエネルギー、回っていかないですね。国のエネルギー政策の一番根幹なんです。
そういう中で、今日、本当に力強い金子先生、末永先生、合わせて5人の先生方が来られましたが、六ヶ所村の応援団長になっていただきたい。これから。はい。そんなわけで、私どもは日本原燃、サイクル事業に関して、地元として、積極擁護、積極賛成の声を発していきたいんです。ですから、これからも先生方を中心に我々も一生懸命に頑張ります。けれども、先生方こういう機会を大きくいっぱい捉えて作っていただいて、積極的に「必要なんだ」と、「国を挙げて進めるべきなんだ」という声を六ヶ所村から発信していきたいなと、そう思っております。我々は色んなことやっていますが、農業者も商工業者も今の日本原燃さんと一緒になって六ヶ所を発展させていきたい、そういう風に思っています。日本原燃さんがこの仕事を進めることによって、地元の商工業者にとって非常にビジネスチャンスなんだ、そういう風に思っております。これは一次産業の人も同じだと思うんですね。直接、間接含めてですね。そういう風に思っていますんで、是非これから日本原燃さんにも頑張っていただきたい。
それから、もう一つお願いがあります。目でわかる放射線ですか、例えば、0.01の被ばく、内部取りこみのおそれありといいましたけれど、われわれ普段でも相当の被ばく、ではなくて、放射線を浴びてますね。目でわかる、もっともっとエネルギーに関する情報を分かりやすい方法で、事業者は勿論のこと、県、関連機関が出していただければ、これからいろんなことが有ると思うんですが、情報が入っていて、分かっていればそんなに騒がない。まあ、県の人には非常に言い苦しいんですが、前の2回の事故、これは確かに起こってはならないんですが、あれは僕は過剰反応ではないのかな、あまりにもヒステリックな反応をしたんじゃないのかなと、そう自分自身では思っております。そんなことで、これからも色々有ると思うのですが、どうか先生方、六ヶ所応援団長になっていただいて、これからも原子力の必要性をアピールしていただきたいと思います。ありがとうございました。
葛西賀子
はい、どうもありがとうございました。まだまだご質問あろうかと思いますが、時間もオーバーしてしまいましたので、ここで質問を一区切りということにさせていただきます。本日は「世界の中で青森・六ヶ所村の役割を考える」ということで、様々な角度から長時間にわたってパネルディスカッションという形を取らせていただいたわけなんですが、下北半島、青森県、ここから日本、世界のエネルギー拠点として、発展していただきたいと、切に願うわけであります。今回のこのセミナー、シンポジウムがその実現に何かヒントを与える形になればと、ご祈念申し上げます。長時間にわたりまして、皆様、そしてパネリストの皆様、本当にありがとうございました。パネリストの皆様にいま一度、大きな拍手をお願いいたします。会場の皆様、そしてパネリストの皆様のご協力を得まして、つたないコーディネーターではございましたが無事着地させていただきました。ありがとうございました。では、マイクを司会にお返しいたします。
小泉陽大(総合司会者)
葛西様、そして先生方、大変ありがとうございました。皆様方から頂きました貴重なご意見は、今後国の原子力政策を議論する上で、しっかりと反映されるものと期待しております。そしてキーワードの一つにもなろうかと思いますが、この地域固有の資源、これをどういう風に産業振興、地域振興に生かしていくかは、やはり、われわれ一人一人が世界の動向をしっかりと捉え、そしてしっかりと考え、勉強していくことがもっとも重要なんだと、改めて感じました。やはりそのためには、今後このような機会、勉強するような機会を継続して持っていけるよう、切に希望しております。長時間にわたるセミナーではございましたが、最後に本セミナーの主催者でもあります六ヶ所村商工会青年部部長の種市治雄から御礼の挨拶をさせていただきます。
閉会挨拶 種市治雄氏 (六ヶ所村商工会青年部部長)
本日はご案内を差し上げましたところ、県内外からこのように多数ご臨席をいただきました。本当に 私感激の思いで一杯でございます。本当に有難うございます。
本日頂きました皆様からの貴重なご意見、疑問、課題が、こういう形で浮き彫りとなりまして、非常に今後のエネルギー政策、原子力政策の実行プロセスの過程に、十分反映されるものと私自身期待しております。
六ヶ所のこの施設に置きましては、迷惑施設としての意識から脱却しつつ、今後もエネルギー立県青森を目指して、私ども一段と努力して参りたいと考えております。どうか皆様、志をともにする同士といたしまして、21世紀のドンキ・ホーテとなりまして、更なる未来へと、私ども一緒に歩いていただけることを切にお願いいたしまして、本日のお礼とさせていただきます。今日は大変有難うございました。
<終わり>