<イラン核問題> 鳩山元首相のイラン訪問は国益を損なう愚挙
<イラン核問題>
鳩山元首相のイラン訪問は国益を損なう愚挙
金子熊夫(外交評論家)
日本中の関心が、消費税増税問題や原発再稼働問題に集中している間も、世界では、イランの核問題をめぐる緊張の度が一段と高まっている。もしイスラエルがイランの核施設への先制攻撃に踏み切り、それをきっかけにホルムズ海峡閉鎖、さらに中東戦争勃発という事態にエスカレートすれば、世界的なエネルギー危機は不可避で、日本も到底無傷では済まない。米国のオバマ政権としても、11月の大統領選挙を控え、そのような危険なシナリオは是非避けたいところで、そのために必死の外交努力を続けている。一触即発、ちょっとした判断ミスが命取りになりかねない。
そのような折も折、民主党の最高顧問(外交担当)の鳩山元首相が、野田首相や外務省の忠告を振り切って、4月初めテヘランを訪問し、アフマニネジャッド大統領等と会談した。会談の正確な内容は知る由もないが、直後にイラン側が公式サイトで発表したところによれば、鳩山氏は、核不拡散条約(NPT)や国際原子力機関(IAEA)体制の不平等性とダブルスタンダードを批判し、イランの主張に理解を示したとされる。日本側の抗議により、この記述はサイトから削除され、駐日イラン大使館が鳩山氏に陳謝したそうだが、不審感は残る。(イラン国際放送のサイトIRIBには、「鳩山氏は、イランをはじめとする一部の国に対するIAEAのダブルスタンダードは、不公平な態度だと述べました。」との記載が残っている。4月16日現在)
4月14日、地元の北海道苫小牧市内で開かれた民主党道9区総支部定期大会で演説した氏は、「元首相として世界平和に貢献したいとの思いで批判も覚悟して行動した」と釈明した由(読売新聞)。筆者は一般論として、大統領、首相、外務大臣などの経験者が在任中に培った人脈を生かして外交の分野で活躍するのは結構なことで、米国はじめ欧州諸国にはそのような例が多数みられ、日本の政治家も見習うべきだと日頃から考えているが、今回の鳩山氏の場合は、失礼ながら、あまりにもお粗末と言わざるを得ない。孤立無援に近いイランからすれば、日本の元首相の訪問は、まさにお誂え向きで、日米間にクサビを打ち込む絶好のチャンスと映ったのだろう。「世界平和に貢献したい」などという発想は、素人なら誉められもしようが、元首相がそれでは困る。
帰国後の記者会見で同氏は、「確かにNPT/IAEA体制は不平等だが、それでも日本はその枠内に入って原子力平和利用や核不拡散分野で一生懸命やっている。イランもそうしたらどうかということを訴えたかったのだ」と解説したそうだが、この認識も果たしてどの程度のものか疑わしい。
<イランと日本の原子力開発の歴史的背景>
いかにもイランはNPTやIAEAの初心者のように思っておられるようだが、実はイランの核・原子力分野の経験は日本よりむしろ古い。1953年のアイゼンハワー米大統領の「アトムズ・フォー・ピース」提案に応じて、イランは、当時パーレビ国王(シャー)の時代だったが、いち早く原子力平和利用活動に着手し、1957年に米国と原子力協力協定を結んだ。NPTには、1968年の国連総会で同条約が採択され各国の署名のために開放されたときに真っ先に署名し、同条約が発効する前の1970年2月に批准も了している。その意味で最も古い加盟国の1つだ。
他方日本は、同条約に入るべきかどうかをめぐる国内の論議が長引き、1970年2月にようやく署名に漕ぎ着けたが、批准はさらに遅れて1976年。その間、国内には、将来の国際政治状況がどうなるか判然としないのに「核のオプション」を放棄するのは不得策だという議論がかなり多かった。偶々筆者は外務省で、1960年代から約20年間核・原子力外交を担当していたから、この辺の事情はよく記憶しているが、決して最初からNPT/IAEA体制に諸手を挙げて賛成していたわけではなく、迷いに迷った上での苦渋の選択であった。たとえ不平等条約であっても、NPTに入らなければ、米欧先進国からの原子力技術や機材の輸入が出来ないという止むを得ない事情もあった。勿論、一旦加盟してからは、国際的責任を自覚し、NPT/IAEA体制の模範生と言われる実績を築き上げてきたのだが、決して常に平坦な道ではなかった。
しかも、安全保障の面でも、日本はもう一つの苦渋の選択を強いられた。1964年の中国の核実験成功を契機に対中警戒心が強まり、国内には自主核武装論まで飛び出した。いちいち名前を挙げるのは憚られるが、今は亡き三島由紀夫、清水幾太郎などの知識人や自民党を中心とする政界にもそうしたタカ派的主張が強かった。それを、佐藤栄作首相の時代に、沖縄返還交渉の絡みもあって、「非核3原則」で自ら核武装の道を断念し、日米安保体制の下、米国の核抑止力(いわゆる「核の傘」)に依存する道を選んだ。この体制は現在も日本の安全保障政策の柱として厳然として続いている。
他方、イランは、1979年の「イスラム革命」で王制が倒れ、イスラム教支配体制の国家に一変。以後米国との関係は悪化し、国交断絶のまま今日に至っている。しかも、イスラエル問題の存在が米イラン関係をさらに複雑なものにしている。米欧諸国は第2次世界大戦以来の経緯もあって、イスラエルを見殺しにはできない。とくに米国にはユダヤ教勢力がつよく、政治・経済面で隠然たる影響力を持っている。イスラエル・パレスチナ紛争を含む中東和平問題は、歴代の米国政権の頭痛の種で、オバマ政権も手こずっている。
もう1つイラン問題を難しくしているのはイスラム教の宗派的な対立である。同じイスラム教国家と言っても、シーア派が圧倒的につよいイランと、スンニ派が優勢なその他の中東諸国の関係は極めて複雑だ。特にシーア派のイランでは宗教法学者の力が強く、原理主義的。1979年の革命を指導したホメイニ師は絶対的存在だったが、現在のハメネイ師も強い影響力を持つようだ。それが反米、反西欧的な外交姿勢の基盤にある。
一方、サウジアラビア、エジプト、クエイトなどは比較的穏健ないし親米、親西欧的で、それに産油国としての経済的利害が絡むので、外交姿勢も比較的柔軟である。その分だけ、イランの強硬路線には抵抗感もある。これらの国は従来イスラエルの核保有に脅威を感じ、イスラエルに「甘い」米国に不満を浴びせてきたが、もし実際にイランが核兵器を保有すれば、イスラエルより危険だと考えている節がある。イスラエルには米国のブレーキがかなり効くが、イランには全く効かないからだ。だからこそ、イスラエル、イランを含め、中東全域を非核兵器地帯にしようという構想をエジプトなどが以前から熱心に唱えているが、イスラエル、イランとも乗ってこない。もしこのような状況で、イスラエルに加えてイランが核兵器国になれば、サウジアラビアなども核武装に走る危険性を懸念する声が中東にもある。そうなると、まさに悪夢の核拡散シナリオだ。
<イスラエルのイラン攻撃のリスクと日本への影響>
イランの核武装を最も恐れるのは勿論イスラエルで、イランが核武装してしまってからでは遅いので、今のうちにイランの核施設、とくにナンタンズやフォルドーのウラン濃縮工場を空爆で潰しておくべしという強硬論がある。イスラエルのネタニヤフ首相がその急先鋒だ。これに対して、モサド(秘密諜報機関)のダガン前長官などは、仮に先制攻撃を仕掛けて破壊しても、イランの核兵器計画を2,3年遅らせる程度で効果は少ない、リスクが大きすぎるとして慎重論を唱えている。
確かに、1981年6月のイラクの「オシラク」原子炉爆撃(バビロン作戦)や、2007年9月のシリアの核施設爆撃が成功したのは、これらの国の核計画がまだごく初期段階だったことと、当時両国の防空能力が弱体だったからだが、現在のイランは地対空ミサイル網による防御体制が整っているとみられるし、核施設が山中や地中深くに建設されているので破壊しにくい、また距離的にもイスラエルから遥かに遠いので、空中給油機や長距離戦闘爆撃機がないと作戦遂行も難しいとされる。米国の軍事的支援があれば別だが、オバマ政権がそれに踏み切るには政治的なハードルが高い。
下手にイランに先制攻撃を仕掛ければ、イランにはすでに中距離ミサイルが相当量あるので、イスラエルは報復攻撃を受け、無事では済まない。テルアビブでは数万人規模の死者が出るなどという予測もある。また、ペルシャ湾内の米海軍第5艦隊の艦船や米兵も危険に晒されるおそれがある。
のみならず、イランは度々警告しているように、ホルムズ海峡封鎖の挙に出るだろうが、そうなれば、石油の供給はストップする。その場合、紛争が長期化すれば、一番困るのは、石油の対中東依存度が90%、しかもそのほとんどがホルムズ海峡経由である日本だ。米国などは、すでに10年以上前から中東有事を想定して、ホルムズ海峡経由の石油輸入ルートを、パイプライン敷設により紅海や地中海経由のルートに切り替えており、さらに、輸入先自体をカナダ、ナイジェリア、ベネズエラ、メキシコなどに切り替えて対中東依存度を減らしているのでダメージは少ないと考えられる。
その上、このところ米国では、メキシコ湾やアラスカなど国内での油田開発のほか、天然ガスやシェールオイル、シェールガス、シェールサンドなどの非在来型のエネルギー開発が急増しており、エネルギー自立度が高まっている。だからホルムズ海峡が閉鎖されてもそれほど困らないとみられる。
このような状況で、米国は対イラン制裁法(米国防権限法)を制定し、同盟国や友邦国に同調を求めており、EU諸国も今年7月から制裁強化に踏み切る。もしイランからの石油輸入を大幅に減らさなければ、米国での金融取引禁止という厳しい制裁を受ける。幸い今回は、日米交渉の結果、日本のイランからの石油輸入量削減努力(約10%削減)が認められて、米国の制裁法の適用を免除されたが、将来の成り行きいかんによっては、さらなる努力が求められるので、安閑としていられない。日本としては、選りに選って、福島原発事故でほぼ全滅した原発(もし今後再稼働がなければ5月中に54基すべて停止)の穴埋めに火力発電を拡大しなければならないこの時期に、イラン石油のさらなる輸入削減を強いられるのは、大変な犠牲を伴うわけだが、これが同盟国の務めというものであろう。
鳩山氏もそのことを理解していないはずはないと思うが、それにしても、この微妙な時期にテヘランに乗り込んで、何ほどの成果を挙げられると思ったのか。米欧グループに同調する立場の日本として、最も重要なことは、この連繋プレーを積極的に支えること、少なくともその足を引っ張らないことだ。先方の逆宣伝に利用されることを十分認識せずに出かけたとすれば不勉強、不見識の極みだが、もしその危険を知った上で敢えて行ったのだとすれば、何をかいわんや。普天間問題の時と同様、空気が読めない「宇宙人」だからどうにも仕方がないという解釈は、国内のジョークならともかく、国際的には、元首相という立場上到底許されないことだ。
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かねこ くまお
外交評論家、エネルギー戦略研究会会長。元キャリア外交官、元日本国際問題研究所研究局長、元東海大学教授(国際政治学)。ハーバード大学法科大学院卒。著書は「日本の核・アジアの核」(朝日新聞社1997年)など。愛知県出身、75歳。