トップページ > 論文・著作 > 続・吾輩は原発である

続・吾輩は原発である

  • 執筆:金子熊夫
  • 掲載日:2012年12月 6日
  • 掲載紙: 電気新聞

続・吾輩は原発である

           金子 熊夫


 過去1年半、あたら無聊をかこってきたが、最近世の中が馬鹿に騒々しい。実は昨年8月に本欄に無理やり登場させられて以来、もう二度と人間社会の雑事にはかかずらうまいと心に決めていたが、どうにも傍観できぬ状況と相成ったようだ。12月16日の衆院選に向けて、全国の魑魅魍魎ども(失礼!)が一斉に蠢動を始め、連日慌ただしく離合集散を繰り返し、新しい政党らしきものが次々に誕生している。そんな状況の中で、こともあろうに吾輩自身の進退問題が選挙の最大の争点となってしまった。これには流石の吾輩も唖然たらざるを得ない。

 周知のように、昨年5月、あたふたと脱原発を決定したドイツのメルケル政権が目下、難問山積で政策の大幅な見直しを迫られている。そのドイツにしてからが、チェルノブイリ以後四半世紀、国内で何度も大議論を繰り返し、漸く決まった経緯がある。かの国より遙かに厳しいエネルギー資源環境にある日本は、前車の轍を踏まぬよう、同国の今後の成り行きを十分見極めた上で、自らの進路を決めるのが最も得策のはず。福島被災者の方々の窮状は察するに余りあるが、さりとて、国の将来に関わるエネルギー政策の決定にはもっと時間をかけて周到な検討と議論を尽くすべきだ。

 ところで、本日現在ほぼ出そろった各政党の選挙公約(マニフェスト)なるものをつらつら眺めると、2030年代までに原発稼働ゼロを目指す(民主党)、3年以内に再稼働の可否を判断し、10年以内に電源のベストミックスを確立する(自民党)、2022年までに「卒原発」を実現する(未来の党)等々実に様々だ。この中では自民党の主張が最も現実的と思われるが、他はいずれも極めて大雑把で具体性を欠き、スローガンだけが一人歩きしている感じだ。

 今一番重要なことは、俗受けを狙って10~20年先の不確かなターゲット(画餅)を並べ立てるよりも、それぞれの政策目標を達成するための実践的工程表と優先課題をできるだけ明確に提示することだ。将来には無数の不確定要因が横たわっているので、現時点でアプリオリに原発ゼロなどと決めてしまわずに、選択肢はできるだけ多く残しておく。そして、将来有望なエネルギーを生み出す技術的ブレークスルーをいかに実現するかが鍵だ。例えば、自然エネ拡大に不可欠な大容量蓄電装置の開発(成功すればノーベル賞3個は確実!)、クリーンコール技術の早期実用化、天然ガスの長期安定的確保策(対米、対ロ関係含む)等など。いずれも超難問で、容易に実現するとは思えないが、もし早晩実現し、日本のエネルギー安全保障が確立すれば,吾輩は誰に言われなくても、安んじて後進に道を譲ることができるだろう。

 さらに言えば、原子力発電についても、現在の大型軽水炉技術だけを前提に判断するのではなく、例えばもっと小型でモジュール化され、建設コストも安く、絶対に過酷事故を起こさないような原子炉の開発、実用化にも果敢に挑戦するべきではないか。今回の大事故にめげずに、日本の技術力を総動員して超堅牢、超安全な原子炉を造り、国内だけでなく海外にも輸出することこそが、技術立国の使命ではないか。さらに、長年日本と協力関係にある欧米の先進国や、日本を頼って原発導入計画を着々と進めているアジアその他の国々の信頼と期待に応えることも大事な責務ではないか。

 吾輩としては、半世紀余前に、縁あってこの国に「助っ人」として招かれ、二度の石油危機と幾多の試練を必死で乗り越え、一時は世界第2の経済大国の地位を獲得する上でいささか貢献したという自負はあるものの、運命には逆らえぬ。その時がくれば潔く退く覚悟はある。しかし、今はまだ到底その時期ではないと断言できる。願わくは、日本国民諸氏には一時的な情念に流されず、今一度大所高所から冷静に考えてもらいたく、敢えて苦言を呈する次第である。

トップページ > 論文・著作 > 続・吾輩は原発である

▲ページ上部へ戻る