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日本の原子力の実力が問われるとき~ベトナムの原子力発電計画と日越原子力協力の問題点~

  • 執筆:金子熊夫
  • 掲載日:2004年3月 1日
  • 掲載紙: 「原子力eye」

はじめに

 昨今原子力は日本では引き続き厳しい逆風下にあるが、広くアジアに目を転ずると、近い将来のエネルギー、電力需要の急増を見越して、原子力発電を重点的に進めようとしている頼もしい国がいくつかある。既に本格的な原子力発電国である韓国、台湾、中国を別とすれば、さしずめベトナムがまさにそのようなアジア諸国の代表格である。

ベトナムは近年日本人の観光客に大変人気があり、商売面でも極めて緊密な関係になってきているが、この国のエネルギー問題についてはあまり日本では知られておらず、まして同国が比較的近い将来原子力発電を本気で計画していることは、一部の専門家を除いて、一般にはほとんど知られていないと思われる。そこで、そのような一般的日本人にも分かりやすい形でベトナムのエネルギー、電力問題の現状をまず紹介し、最後に日越間の原子力協力の可能性や問題点について論じて見たいと思う。

 ちなみに、筆者は元来国際政治が専門で、エネルギー問題の専門家ではないが、約35年前、ベトナム戦争の最盛期に外交官として南ベトナム(当時)に在勤し、たまたま歴史的なテト攻勢(1968年)が勃発した際は、中部のフエで米越両軍間の激戦に直接巻き込まれ、危うく「戦後日本外交官殉職第1号」になりかけるという貴重な体験をした。

 その後1970年代半ばから80年代初め、外務省の初代原子力課長として日本の原子力外交を担当したが、そうした因縁や経歴もあって、過去4半世紀余にわたり一貫してアジアの原子力問題、とりわけベトナムとの原子力協力関係の推進に腐心している。最近では2002年秋に2ヶ月間ハノイに滞在し、同地の日本研究センターの客員教授として、日本の外交政策について講演・講義を行ったが、そうした折にも余暇を利用して同国内の電力・エネルギー関係の施設を数多く見学したり、政府関係者との会談を行った。以下の論述の中にもそうした見聞の一部が含まれているが、内容についての責任はすべて筆者個人のものであることを念のためにお断りしておく。
1.ベトナムのエネルギー電力事情
(1)主要なエネルギー源

最初に、ベトナムの最新(2003年)の電源構成をみると、水力51%、ガス火力27%、石炭火力14%、石油火力3%、IPP 6%で、水力が圧倒的に多いが、伝統的には石炭火力が最も重要な電源である。石炭は現在でも比較的豊富で、代表的な炭鉱としてはユネスコの世界遺産にも指定されている観光地ハロン湾に近いホンガイ炭坑などが有名だ。ここの石炭は良質の無煙炭で、日本でも昔から帝国海軍が軍艦用に大量に輸入していた(敵艦に発見されにくいため)。現在でも日本はホンガイ炭を相当量輸入している。

現在電力の半分を占める水力は北部ベトナムに集中している。特にハノイ北方の紅(Hong)河支流を中心とする地域は地形的に十分な落差があり、ヒマラヤ山系の雪解け水で水量も豊富である。1975年のサイゴン陥落でベトナム戦争が終結した後、ソ連が本格的に参入し、この地域にダムと水力発電所を建造した。最大のものがハノイから約100kmほど西方のダー(Da)川に建設されたホアビン(Hoa Binh)水力発電所で、私も建設中から何度も視察したが、日本の黒部発電所のように、岩盤をくり抜いて設置された8基の発電機が稼働していて、甚だ壮観である。総出力は約200万kW、国の総発電量の3分の1弱で、これがベトナムの最も安定した電力源になっている。

このように水力と石炭火力発電で現在のところ電力需給はなんとかバランスしている。が、フランス時代の古い配電システムがほぼそのまま使用されているためしばしば停電する。また、ベトナムは南北約1,700km(札幌から鹿児島までに相当)あるため、送電に問題がある。数年前まで、北部の水力発電所の余剰電力の南への送電に相当のロスがあったが、今では大分改善されている模様である。

(2)逼迫するエネルギー需給と今後の対策

しかるに、1986年に導入された「ドイモイ」(刷新)政策の下で経済活動が活発化するにつれて電力需要が大きく伸び始め、現在では需給バランスが崩れてきている。とくに人口も多く経済活動が最も盛んなホー・チミン市(旧サイゴン)やメコンデルタ地帯を中心とした南部ベトナム地域のエネルギー・電力不足が深刻な問題になっている。南部は北部と地形的に大きく異なり、全体に平坦で高低差が少ない(例えばサイゴン河口とカンボジア国境辺は1~2m前後しか高低差がなく、満潮時にはメコン川やサイゴン川にも海水が上がってくる)ため、水力発電所は建設できない。

古くは1950年代から国連主導で進められてきた壮大なメコン河開発計画は、長年戦乱で中断されていたが、最近ようやく再始動を始めたので、ベトナム国境に近いラオスやカンボジアにいずれは水力発電所が多数建設されると期待されている。

ただ、問題は、昔からベトナム、ラオス、カンボジアの3国は、必ずしも仲が良くないことだ。ベトナム人はこの辺ではエリート国民とされ、かつてフランスは優秀なベトナム人をパリで教育し、フランス植民地主義の手足として帰国させラオスやカンボジアに派遣、間接統治をさせていたことから、未だに被抑圧民族であるラオス、カンボジア民族には反ベトナム感情が根強い。これがポル・ポト時代の大虐殺の原因にもなった。

したがってメコン河開発計画が本格化し、ラオスやカンボジアで発電所ができても、ここからベトナムが長期に安定的な供給を確保できるか否かに不安があり、安全保障、外交戦略上の配慮から、自国内でのエネルギー安定確保を図りたいとしている。

そこで、現在南部では石油・ガス火力発電の拡大が急務となっている。日本政府もODAや民間借款で火力発電所の建設に力を入れており、例えば南シナ海沿いのフーミン地区には既に119万KWのガス火力発電所(三菱重工製)が運転中で、今後計画がすべて完成した暁には400万kW以上の大発電所が出現する。

他方石油については、南シナ海、とくに南沙諸島(Spratleys)と西沙諸島(Paracels)周辺の海底石油開発が有望とされ、とくに南沙では日本企業をはじめ各国のオイル・メジャーが試掘している。推定埋蔵量はかなり大きいとされ、ベトナム戦争直後から既に20数年、ソ連(現在ロシア)、最近ではアメリカの石油資本が資金を投入して試掘しているものの、今のところ、想定されたほど産出してはいない。

しかし、仮に石油が大量に産出するようになれば、この海域は元々各国の領有権が錯綜しているため、領有権争いが激化する可能性が非常に強い。すでに南沙諸島の多くの島々に対し、中国・ベトナム・マレーシア・フィリピン・ブルネイ・台湾の6ケ国が領有権を主張しているが、中でも中国は、1993年にこの辺全部を中国領海に指定した「領海法」を制定し、着々と既成事実化を図っている。   

こうした中国の動きに刺激されて、各国が海軍を派遣し実力行使をすれば、一触即発の危機に発展しかねない。今のところASEANが仲立ちして、領土紛争を棚上げして開発優先を打ち出しているが、状況は改善していない。もし将来大規模な武力衝突が発生すれば、この海域を重要なタンカー・ルートとする日本にとっても重大な事態となる。

2.ベトナムの原子力開発計画
(1)原子力導入に向けた動き

上述のとおり、ベトナムにはメコン川開発による水力発電のほか、近海に石油やガスが相当量賦存していても、すべて自分の思うようには利用できず、いずれにしても、国産エネルギーだけでは急増する需要を賄いきれない。従って現在は、不足分は中東から石油やガスを輸入してカバーしているが、経済的にいつまでも輸入石油に頼るわけには行かない。そこで、ベトナムとしては、こうした状況から脱却するためにも、将来的に原子力発電を指向せざるをえず、既にその方向に動きつつある。

2001年3月の第9回共産党大会における原子力重視の正式決定を受け、直ちに原子力導入に向けた様々な準備作業に入った。ベトナム工業省が中心となり、原子力委員会、科学技術環境省、電力庁といった省庁およびそれらの付属研究所がタスクチームを作り、工業大臣自らが議長となって2001年からプレ・フィージビリティ・スタディを開始した。その結果は2003年末までにほぼ完成しており、これを2004年の早い段階で公表し、国会の審議に付すことになる。その上で、もし首尾よく国会の決定が得られれば、次の段階、すなわち正式なフィージビリティ・スタディに移ることになり、向こう2年間にわたり本格的に原発導入の可能性を検討する予定になっている。

政府の計画では、2017年から2020年の間に第1号機の運転を開始する方針である。すでに、プレ・フィージビリティ・スタディの過程で、日本の関係企業、団体等も協力して、ベトナム全土にわたって原発建設候補地の選定作業が行なわれており、その結果、6つの候補地が選ばれ、現在ではさらに2つの地域(ニントゥアンNinh Thuan県、フーイェンPhu Yen県)に絞られている。

この1、2年来ベトナム原子力委員会は、日本の原子力メーカー(東芝・日立・三菱重工など)の協力を得て、建設候補地とされる周辺住民に対し原子力の重要性をPRするための「原子力展示会」を数度にわたって開催しており、それなりの成果が上がっているようである。

(2)諸外国の動向:激化する売り込み合戦

こうしたベトナム国内の動きに連動して、すでに先進数カ国(日本を含む)が猛烈な対越原発売り込み競争を開始している。中でも旧宗主国のフランス、冷戦時代の同盟国であったロシア(旧ソ連)、さらに最近では韓国がことのほか熱心である。
 ロシアについては、プーチン大統領自ら、2002年夏のベトナムでのトップ会談で、協力な働きかけを行なったほか、原子力大臣なども数度にわたって訪越している。最大の強みは、現在原子力関係の仕事をしたり、研究所で働いているベトナム人の95%が旧ソ連で教育や訓練を受けた経験を持っていることだ。しかも、ロシアの売り込みには、イランとの関係で見られるとおり、政治的な配慮が濃厚で、1号、2号機は採算を度外視して無償に近い形で建設し、その後の3、4号機の建設で元を取れればよいといった計算をしているともいわれるが、とくにベトナムに対しては、例えばカムラン湾(ベトナム戦争中、米軍が一番使った湾)を使わせてくれれば、お返しに原発を何基か格安で建造しよう、といった政治的・軍事的配慮を絡めた取引を提案しているとみられる節もある。

 フランスも、世界の原子力最先進国としての実績を背景に、歴代の大統領や首相が陣頭指揮でベトナムのトップに強力に働きかけている。他方、最近になって俄かに注目されているのが韓国で、いわばダークホース的な存在として日本の関係者からも最も強力なライバルと目されている。もしKEDO計画による北朝鮮向けの軽水炉(韓国標準型)2基が宙に浮けば、それを格安でベトナムにという可能性も無きにしも非ずだ。また、ベトナムは少量ながらウランを産出するので、カナダがCANDU炉(天然ウランをそのまま燃料として使える)を売り込でいる。その他、中国、アルゼンチンも動いているし、インドも独自の重水炉の売り込みを狙っている。このように日本を含む6,7ヶ国が対ベトナム原子力商戦に鎬を削っているが現状である。

(3)日本側の対応ぶりと問題点

 これまで日本は、(社)日本原子力産業会議が窓口となり、日立・東芝・三菱重工といった重電メーカーを中心にオール・ジャパン方式で、ベトナム原子力委員会をカウンターパートとして積極的な協力活動を行なっている。日本国内の新規原発建設が低迷している状況で、アジアへの原子力輸出はかねてから業界の悲願となっており、アジアの原子力平和利用最先進国としての沽券にかけて是非ともベトナムに橋頭堡を築いておきたいと考えるのは当然であろう。

 しかし、残念ながら、日本には、20年近く前の中国(秦山原発1号機に圧力容器を輸出)、最近の台湾(第4原発。米国企業が主契約者)の先例があるだけで、単独で原子力プラントを輸出した経験がなく、今回のベトナムとの関係においても色々なハンディキャップを抱えている。後で詳しく検討するように、他国との比較で日本の不利とされる点は、そういた経験の欠如によるものであるが、さらに具体的いえば、(1)日本製原子炉が他国に比して1.5~2倍高いとされること、(2)原子炉にセットで輸出できる独自の核燃料がないこと(使用済み燃料の処分についても確約できない)、(3)原子力輸出に不可欠である政府間の原子力協力協定が未だに締結されていないこと等である。こういった明らかなマイナス要因を、日本製原子炉の性能の優秀さや定評のあるサービス面(人材養成、運転指導、機械の維持・補修等々)でのきめの細やかさ、といったプラス要因でどこまでカバーして行けるか、が今後の課題であろう。
 
 こういった具体的な問題を論ずる前に、ここで過去30年間に及ぶ東南アジア諸国における原子力開発の歴史と、日本との関わりについて簡単に振り返っておきたい。

3.アジアの原子力開発の難しさ
(1)挫折の系譜

私は外務省の初代原子力課長だった1970年代後半以来長年にわたりアジアの原子力開発に深く関わってきたが、その間、各国の原子力開発計画が外発的要因により次々に頓挫して行った事例を沢山見てきた。

古くは70年代初頭、タイが東南アジアでは最初に原子力発電を計画したが、数年後にシャム湾(タイ湾)に海底石油が発見された途端に、原子力熱は冷めてしまった。今でも原子力発電の計画もサイト予定地もあるにはあるが、海底石油が出る間はおそらく原子力発電には着手しないであろう。

次に登場したのはフィリピンで、マルコス政権時代の70年代後半から、米国のウェスティング・ハウス(WH)社と契約して60万kW軽水炉2基をバターン半島(太平洋戦争中「死の行進」で有名になったところ)に建設する計画が進められた。私も建設工事中に現地を3回視察したが、工事はそれなりに着々と進んでいた。ところが、1979年のスリーマイル島(TMI)原発事故を契機に米国原子力規制委員会(NRC)が、輸出についても国内向けの安全基準を満たすべきと決定したため、フィリピン政府はWH社との再交渉を余儀なくされ、建設価格が一挙に倍増(当初価格の10億ドルから19億ドルに)した。その結果、この金策に絡んでマルコス政権の財政スキャンダルが露見し、大統領は失脚、すでに8割方完成していたバターン原発もあえなく頓挫し、借金だけが残ってしまった。フィリピンには現在でも原発建設の夢を持つ関係者はいるが、バターン・プロジェクトの後始末がついていない状況では次の原発プロジェクトを立ち上げることはまず無理だろう。

次に3番手として登場したのがインドネシアで、1980代初めから、ハビビ(Habibie)という研究技術大臣を長く務めた実力者が原子力計画を強力に進めていた。まずジャカルタ近郊のスルポン地区に30MWの多目的研究炉(ドイツ・ジーメンス社製)を完成させたのに続いて、中部ジャワのムリヤ半島地域に発電炉の第1号機を建設することが決定し(運転開始は2003年の予定だった)、日本も関西電力系企業がコンサルタントとして関与していた。ところが、国際入札も間近の1997年夏、突如タイで勃発したアジア通貨危機がインドネシア経済を直撃し、スハルト長期政権が倒れ、その後、ハビビ氏が1年ほど後継大統領を務めたものの退陣を余儀なくされ、同時に、ムリヤ計画もあっけなく頓挫してしまった。スルポン計画以前から同国の原子力計画の立案に関わってきた私個人にとっても、誠に残念な成り行きであった。

現在、インドネシアの原発計画は白紙に戻った状態だが、同国の原子力関係者たちは、いまだ原子力発電所建設計画を諦めていないようである。それには、アジア最大の産油国でありながら、あと数年以内に石油の純輸入国になると予想されるので、石油のあるうちに原子力発電を実現したいという政策的配慮が背景にあるものとみられる。

(2)ベトナムの特殊性 

さて、以上のような苦い挫折の歴史を乗り越えて、いよいよ4番バッターとして登場してきたのが我がベトナムである。だからこそ、ベトナムには是非とも成功してもらいたいという熱い期待が当然日本の関係者の間でもつよい。仮にもしベトナムも失敗すれば、東南アジアにおける原子力開発の気運は大きく後退を余儀なくされるだろうからである。

 しかしながら、客観的に見て、ベトナムの前途にも少なからぬ困難が予想される。同国は、現在は社会主義国家で共産党の一党独裁であり、それゆえに、中央政府が一度決定すれば国内で仮に反原発ムードが出てきても、これを押さえることができるだろう。しかし現在の状態がいつまでも長続きするとは考えにくい。私の周辺にいる日本人のベトナム研究者、学者の中には、もう5年はもたないとか、精々7年程度だという人もいる。私自身は、それほど急ではないと思うが、楽観はしていない。

同じ社会主義国でも中国の場合は、鄧小平が改革開放路線をうまく定着させたが、ベトナムにはホーチミン亡き後、今のところ鄧小平に相当するような傑出した指導者が出ていない。インターネット時代となり、若い世代はアメリカやヨーロッパ流の考え方や情報(その中には反原発的なものも当然含まれる)を自由に入手できる。私は一昨年秋の滞越中ハノイ大学や研究所で教えたが、大学の法学部や社会科学系の教授たちの中には欧米並みの環境重視派・反原発派の論客がおり、工業省や原子力委員会でも反原発の動きが兆しつつあることを警戒している。1号機運転開始まであと15年として、その間にどのような変化がベトナム側に起こるか予測不可能だが、油断すると最後に足をすくわれる惧れがある。途上国での原子力開発においては、常にそのようなリスクがあることを覚悟し、日本側関係者も十分に注意して対応していく必要がある。

4.問われる日本の対応:「敵は本能寺にあり!」

とはいえ、私は、ベトナムが今後猛烈な勢いで発展し続け、それに伴ってエネルギー需要が急増するのは必至であるから、仮令いかなる政権が誕生しても、エネルギー確保の一環として原子力発電計画を選択せざるを得ないと見ている。さらにまた、ベトナムは近い将来必ず東南アジアの最強国の1つになるであろうから、そのベトナムとの友好関係を一層強固なものとしておくことは、21世紀における日本の対中国外交上も絶対必要と考えている。対越原子力協力の重要性もまた正にそのような戦略的判断に基くものに他ならない。

しかしながら、日本の対越原子力協力には、現実にいくつかの重大な障害が存在しており、これらをいかにして克服するかが今後の課題である。これらの障害(マイナス要因)については、すでに前節で3つに絞って簡単に触れたが、紙面の制約上、ここでは最後の1点、すなわち日越原子力協力協定の不存在という問題点について述べるに止める。

今さら指摘するまでもなく、原子力輸出の場合核拡散問題が常につきまとう。日本がアジア諸国と原子力取引をする場合も、機微な(つまり核兵器製造に転用される惧れのある)ハードウェアやソフトウェアについては、必ず政府レベルの原子力協定を事前に締結し、核不拡散の担保を取り付けることが必要である。この辺の事情については、拙著「日本の核・アジアの核」(朝日新聞社、1997年)の第5,6章を参照されたい。

 日越原子力協定が未だに締結されていないことは、もっぱら日本政府側の怠慢であり、ほとんど弁解の余地はない。私は1970年代から日本とアジア諸国の原子力協力推進のための布石を色々打ってきたが、残念ながらその後全く効果的なフォローアップがなされていない。のみならず、外務省を含め政府部内には対アジア原子力協力関係の重要性を理解する者は現在皆無といってよい。それどころか、アジア、とくに東南アジアは種々の面で遅れており、原子力発電のような高度の科学技術を受け入れる土壌が出来ておらず、そのような状態での原子力導入は技術的に危険であり、一つ間違えば日本の原子力産業にも壊滅的な打撃となる。しかも、政治的にも不安定な国が多いから、核拡散の惧れは十分にあり、原子力輸出は政策的に不適当、少なくとも時期尚早だという意見が圧倒的に多い。原子力協定の締結問題については、実際に日本製原子炉の輸出がはっきりしてから締結すればよく、現在はまだその状況ではない、というのが外務省の一貫した立場のようである。

 しかし、私は、原子力協定締結が先か、商談が先かは「鶏が先か、卵が先か」のようなもので、別々には考えられないと思っている。他の競争相手が先刻2国間原子力協定を結び、国家元首レベルで売り込み合戦を展開しているときに、日本だけが無協定であることの不利は明らかである。いかに商社、メーカーが頑張っても先方政府が真剣に相手にするわけがない。

 しからば、ベトナムの場合も、日本は傍観を決め込み、他国の援助による原子力活動が行なわれるのを看過するのか。中には、何も日本が無理してやらなくても、ベトナムが自由に判断してやればよいという意見もあろう。それはそうだろう。私は、しかし、過去のいくつかの国際的先例に照らして、もし日本が関与しない形で原子力活動が行なわれた場合には、後になって日本には発言権が認められず、仮にいかがわしい活動が行なわれても――別にベトナムがそうだというわけではないが――「蚊帳の外」に置かれることになるから、日本自身の安全保障、ひいてはアジアの安全保障上極めて望ましくない結果となると考えている(この辺のことも上記拙著に詳述してある)。

 ついでにもう1つ、厄介な点を指摘すれば、米国との関係である。日本製の原子炉といっても残念ながら100%国産技術ではなく、米国の技術がごく僅かでも関わっていれば米国の同意なしに原子力輸出は出来ない仕組みになっている。台湾(第4原発)の時と違って、ベトナムのケースはかなり微妙であるが、私の見るところ、東京とワシントンでこの問題は未だほとんど全く議論されていない状況である。

 実は、こうした状況は、民間レベルでも察知し、かねてから密かに憂慮されているが、一向に効果的な働きかけが政府に対してなされているように見えない。民間の関係筋の担当者は日越間を頻繁に往復して対越働きかけを繰り返しているが、若干どぎつい言い方をすれば、「敵は備中に在らず、本能寺に在り!」で、もっと対日本政府向けの働きかけをこそ強化すべきである。そのためにあらゆる手立てを講ずるべきで、いまこそ日本の原子力業界の実力が試されるときだ。原子力輸出は優れて政治的、戦略的な考慮を必要とするものであることを今一度肝に銘ずるべきであろう。


おわりに

 最後に念のために付言すれば、今回は紙数の関係で主に政府サイドの対応ぶりについて苦言を呈するに止めたが、もちろん民間サイドにも問題が多々ある。一点だけ指摘すれば、もし本気に原子力輸出の振興を欲するのならば、この際、国際競争力をつけるため、例えば原子力関係メーカーを一本化するくらいの思い切った体質改善を図る必要があるのではなかろうか。

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