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「もんじゅ」訴訟と裁判制度:抜本的な見直しが必要

  • 執筆:金子熊夫
  • 掲載日:2003年6月 1日
  • 掲載紙: 「エネルギー政策研究」

高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の設置許可を無効とした名古屋高裁金沢支部の判決については、3月末、被告である国(経済産業大臣)から最高裁に対し上告受理申立理由書が提出されていたが、ようやく先日(5月初め)最高裁第1小法廷で名古屋高裁から送付してきた当該記録を受領した由であり、近く上告審理が始まる見通しである。審理の帰趨は予断を許さないが、いずれ高裁判決破棄差し戻し(原告敗訴)となるか、上告棄却となるかどちらかで、もし万一後者となれば、高裁判決が確定し、国の敗訴となる。そのような事態に至ることは想像しがたいが、仮にそうなった場合には、その影響は計り知れないものがあろう。

そのような微妙な段階において、外野から大胆な発言をするのは憚られるし、また、すでに多数の専門家が技術的な観点から種々の批判的意見を明らかにしているので、今さら門外漢の私が発言するまでもないと思うが、与えられた機会に、敢えて1つだけ私見を述べておきたい。

 周知のように、この高裁判決には2つの大きな問題点があって、1つは法律上の問題、もう1つは技術的な問題であるが、社会科学専門の私がこだわるのは勿論前者についてである。

 とはいっても、同判決が、伊方原発訴訟における最高裁の判例(1992年)を無視し、「違法の明白性は不要」としたり、かなり非現実的な仮定の下に「具体的な危険性が否定できない」として設置許可を無効とした点などは、私も納得が行かず、間違った判断だと思うが、すでに多くの識者が指摘済みであるので、それらの点についてもここでは一切触れない。

 問題は、もっと根本的なところにあるのではないかと思う。そもそも、高速増殖炉開発のような高度の先端科学技術上の問題点についての判断を司法裁判所に委ねることが適当かどうかという疑問である。そこで、この点に絞って、以下簡単に私見を述べる。

 言うまでもなく日本国憲法の下では、特別裁判所の設置は認められておらず、また、行政機関による終審裁判は禁止されている(憲法第76条)。しかし、例えば海難事故については海難審判庁での審判が認められており、航空機事故については、航空機事故調査委員会が広範な権限を与えられている。

もちろん、これらの準司法的な行政機関の裁決は終審ではないから、例えば、もし高等海難審判庁の裁決に不満があれば、東京高等裁判所へ裁決取消しの訴えを提起できる仕組みになっている(これらの関連法令については煩雑になるので、割愛する)。

 米国でも、例えば宇宙開発関係の重大事故(スペース・シャトル事故など)については特別の調査委員会が大幅な権限を与えられており、また原子力事故に関しては、スリーマイル島原発事故(1979年)などの教訓を生かして、高度の独立性を持つ原子力規制委員会(NRC)が設けられている。

 今日、科学技術の進歩発展は誠に目まぐるしいばかりであるが、それに比例して、こうした先端的分野での事故やトラブルの因果関係も複雑化しており、これを適切に判断するのは益々困難になっている。

原子力の分野でみると、50年近い研究開発の実績を持ち、全国で52基が稼動している軽水炉の場合はともかく、まだ研究開発途上にあり、国内でも特定の機関や専門家以外はあまり関与したことのない高速増殖炉の場合は、判断が一層難しいのは当然である。

 まして通常の裁判業務に携わる裁判官は、法律を中心に社会科学系の教育訓練は受けていても、科学技術問題には必ずしも十分な素養があるとは考えられない。もちろん、今回の名古屋高裁の担当裁判官たちが誠意と熱意を持って勉強し裁判に当たったであろうことは推察でき、その点を疑う気持ちは毛頭ないが、そうした個人的な努力にもおのずから限度があるのではないか。裁判の過程で双方から技術的な説明を十分聴取したにしても、果たしてどれだけ正確に実態を把握した上で司法判断を下したか疑問なしとしない。

 伝え聞くところによると、金沢支部では前後10回余、原告(主として地元住民)と被告(国)から説明を受けたが、国側の担当者の説明振りは、原告側のそれに較べて素人の裁判官には理解しにくいものであったそうである。国側の担当者の不手際、不見識は厳しく批判されるべきだが、他方、そのような説明の巧拙で裁判官の心証が形成されるということ自体、科学技術的正確さや妥当性が何よりも重視されるべきこの種訴訟においては、本来あるべからざることである。また、先端科学技術の開発に伴う色々複雑かつ微妙な問題や状況を、そうした経験を全く持たない裁判官が良く理解しえたとは到底思えない。これは、もちろん個々の裁判官の資質の問題とはあまり関係がない。

 しからば、代案としてどのような仕組みが必要か、あるいは可能かという点については、現時点で軽々には論じられないが、長期的には、先端科学技術開発活動の適否を、開発サイドと市民サイドの双方の観点に立って公平に判断できるような制度を創設する必要がある。現在法務省が中心なって進めている日本の司法制度改革作業の中でも十分検討すべきである(陪審員制度やADR制度の導入も検討に値する)。「もんじゅ」訴訟のようなことは、今後も起こりうることだから、この機会に、将来に備えて、裁判制度の抜本的な見直しを行うべきである。

 しかし、短期的には、現行制度の部分的改革、改善により対処せざるを得まい。その際、少なくとも、原子力開発利用の科学技術面、とりわけ安全面を担当する立場にある原子力安全委員会がもっと中心的な役割を果たせるような仕組みが是非とも必要である。ただし、そのためには、現在のように行政官庁の支援なしには独自の行動が出来にくい安全委員会ではなく、例えば航空機事故調査委員会や公正取引委員会のような高度の独立性と独自の調査・判断能力を持ったものに改善して行く必要がある。それはそれで大変なことであるが、失われた国民の信頼を取り戻し、日本の原子力を再活性化するためには、その程度の荒療治を厭うべきではないだろう。

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金子 熊夫 かねこ・くまお=外交評論家、エネルギー環境外交研究会会長。元キャリア外交官、初代外務省原子力課長。前東海大学教授。現在、(財)日本国際フォーラム理事、(財)地球環境センター理事、核燃料サイクル開発機構運営審議会委員。著書に「日本の核・アジアの核」ほか。ハーバード大学法科大学院卒。愛知県出身、66歳。

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