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仏さまのお花に、よろしければ・・・

  • 執筆:金子熊夫
  • 掲載日:2003年5月16日
  • 掲載紙: 月刊健康(共同通信社)

私の郷里は、戦国時代の長篠合戦(天正3年=1575年)の古戦場として知られた愛知県新城市である。私の生家の近くの田や畑の中には、合戦で戦死した武田方の武将の名を刻んだ石碑が今でもいくつか立っている。新城市は、今年4月、例の偽装誘拐殺人事件で一躍マスコミの話題になってしまったが、本来は山紫水明を絵に描いたような穏やかで美しい町である。

先日、市のロータリークラブで講演を頼まれて久しぶりに帰郷した際、ついでに、老齢で病気療養中の中学時代の恩師N先生をお見舞いしたところ、こんな素晴らしいお話を伺ったので、早速ご披露しておきたい。

N先生が現役の中学校校長当時、毎朝通る狭い道沿いの空き地に30坪ほどの野菜畑があった。そこには四季折々の草花がいつも美しく咲き乱れていて、傍に立て札が立っていた。「仏さまのお花に、よろしければご自由にお取り下さい。奥の方から取って、表通りは観賞用に残しませう。」

旧仮名遣いなので、立て札の主はお年寄りと推察できたが、どなたであろうか。この善行を紹介したいと思ったが、そんなことをして世間に知られればかえってご迷惑に思われるのではないかとN先生は考えた。そして、年月は過ぎた。

 「これは菊の花です。秋になると、きれいな花を咲かせます。どのように変化するか、これから見ていて下さいね」と、立て札が変わっていた。

この小径は、普段自動車は通らず、子供たちの通学路になっていたので、児童たちは毎朝この立て札と菊の花を見て登校する。ほのぼのとした風景である。そして、立て札も時々変わり、また数年が過ぎた。

 ある時、この道を通ってN先生は驚いた。野菜畑は荒れ、仏さまの花も観賞用の花も枯れたままではないか。これは一体どうしたのか。N先生は、胸の不安を抑えて、急いで老人を探した。その人は、畑からはやや遠い所に住み、長年雑貨卸商を営む老舗の主人であった。既に病床に臥していたが、やがて92歳でこの世を去られたという。間もなく元の地主に返還されたその畑は、地主によって駐車場となり、景観は一変した。

その老人の名前は、50年近くも前に故郷を去った私には全く聞き覚えがなかったが、なんとなく、遠い昔子供の頃どこかで会った人のような、懐かしさを覚えた。

 と同時に、新城市の教育長まで務められたN先生が、このような奇特な老人の話を、今まで公の場では一度も口にされず、老人の死後になって初めて私たちにこれを披露された、その心遣いというか、奥床しさにも、心打たれた。おそらく故人もそれを望まれたのだろうと思う。

 翻って、昨今は暗い話題や不愉快なニューズがマスコミに氾濫している。わが故里新城市もついにマスコミの餌食になって、全国的に知れ渡ってしまった。そうした世相の中では、本来なら一服の清涼剤になるはずの、こういう美談や善行すらも霞んでしまいそうである。

 この原稿を書き始めたとき、偶然N先生から毛筆の手紙が届いた。それには先日の病気見舞いへのお礼の言葉とともに、次のような言葉が綴られていた。

「発病を機に、人生の第4コーナーにかかったことを自覚し、現在はベッドより離れることが出来た幸運に感謝して、わが人生の店じまい、生活の整理にかかっています。

 日暮れて道遠し。秋は紅葉、冬は雪、春は花、初夏は新緑、去るもの総てこれ一回限り。老後の千金の日時を大事にしたいものと念じつつ......。

どうぞ、ご健勝にお過ごし下さいますように。  平成15年5月  M.N.」

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