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「かけがえのない地球」の虚実

  • 執筆:金子熊夫
  • 掲載日:2002年8月23日
  • 掲載紙: 電気新聞 時評「ウェーブ」

本欄で毎回エネルギーや原子力問題を論じているので、私はその方面だけの専門家と思われているようだが、元来は環境問題の専門家であり、30余年前に初めて日本に「環境」問題という概念を導入したのは、他ならぬこの私である(いささか自慢話めいて恐縮)。

というわけで、今回は、偶々この8月26日から南アフリカのヨハネスブルグで開かれる「持続可能な開発に関する世界首脳会議」(いわゆる「環境開発サミット」)について書く。

この会議は、各国首脳や政府、民間の関係者合わせて約6万人が参加する、まさに空前の大国際会議だ。その割に一般市民の関心は今ひとつ盛り上がりに欠けるようだが、それは、この会議の性格や実態が正しく理解されていないからだと思われる。

周知のように、今次会議は、10年前の1992年にリオデジャネイロで開かれた「環境と開発に関する国連会議」(いわゆる「地球サミット」)をフォローアップするためのものだが、実は、さらにその20年前の1972年に、ストックホルムで最初の国連環境会議が開かれており、これがすべての出発点である。

「人間環境に関する国連会議」という正式名称が示すように、ストックホルム会議は、人間を取り巻く森羅万象、あらゆる環境問題を初めて統一的に把握しようとした画期的な会議であったが、そこには当初から深刻なイデオロギー上の矛盾があった。すなわち、日本や欧米の先進国は、当時すでに重大な社会問題となっていた大気汚染、水質汚濁、土壌汚染など人間の健康に関係する「公害」問題を最優先課題と考えていたのに対し、開発途上国側は、貧困こそ最大の環境問題であり、その解決には一層の開発が必要であるから、先進国は途上国援助を増額すべきだと主張した。

 日本からは、水俣病患者代表を含め、多数の官民の専門家が「公害先進国」としての経験を生かして積極的な国際貢献をしようと意気込んでストックホルムに乗り込んだ。外務省の初代環境担当官であった私もその一員であったが、会議開幕直後から、右のような先進国と開発途上国の激しい対立の渦中に巻き込まれて途方に暮れたというのが実情であった。

もっとも私自身は、同会議の準備段階から、こうした日本の「公害」と国際社会の「環境」の違いに気づき、ある種の危機感を抱いていた。そこで、なんとかして早くこの溝を埋めようと、自ら「かけがえのない地球」というキャッチフレーズを創案したりして、新しい「環境」概念の導入に腐心した。

 この「かけがえのない地球」は、もともとストックホルム会議の公式スローガンの「オンリー・ワン・アース」(Only One Earth)を翻訳したものだが、瞬く間に全国に普及し、幼稚園児や小学生でも知っているほどに、日本人の「地球環境」マインドの形成に多大の貢献をした(と自負している)。

 しかし、その反面、この「かけがえのない地球」がなまじ名訳であったがために、日本国内で情緒的、倫理的な環境ムードが助長され、その結果地球規模の環境問題や「環境外交」の実態に対する正しい理解が妨げられたような気がする。

 その端的な例が捕鯨禁止問題で、これについては、5月21日付けの本欄(「クジラとプルトニウム」)で触れたが、もう一つの例を挙げれば、温暖化防止問題も然り。米国の反対で今回ヨハネスブルグでは、京都議定書は議論されないことになったが、そもそもEU諸国の主導で、各種排ガスの削減目標の基準年が、日本にとって最も不利、ヨーロッパにとって有利な1990年(この時点で日本は、徹底した省エネと原発促進で化石燃料消費の大幅削減を達成済み)に決まったのが1つの勝負で、日本は「みすみす一本取られた」という厳しい見方もあることを知っておくべきだろう。

確かに「かけがえのない地球」は「母の日のカーネーション」のようなもので、建前としては誠に結構だが、現実の国際社会における環境外交はきれい事だけでは済まない。ヨハネスブルグ・サミットを機にもう一度、「かけがえのない地球」を守るということの真の意味を、冷静に考え直してみる必要がある。

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