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日本の環境外交の30年:ストックホルムからヨハネスブルグへ

  • 執筆:金子熊夫
  • 掲載日:2002年7月17日
  • 掲載紙: 読売新聞(夕刊・文化欄)

8月26日から9月4日まで南アフリカの首都ヨハネスブルグで「持続可能な開発に関する世界首脳会議」、いわゆる「環境開発サミット」が開催される。参加国数(約180)と官民双方の参加者数(約6万人)だけからみても、まさに未曾有の大国際会議といってよい。

しかし、その割に国内一般の関心は今ひとつ盛り上がりに欠けるようだ。果たしてこの会議が日本にとって具体的にどういう意味があるのか、日本はどう対処しようとしているのか、国民の目には必ずしもはっきりしない。それは、おそらく、この会議の性格や実態が国内で正しく理解されていないからだと思われる。

この会議が、10年前リオデジャネイロで開かれた「環境と開発に関する国連会議」、いわゆる「地球サミット」の延長線上にあることはよく知られているが、実は、さらにその20年前の1972年に、史上最初の国連環境会議がストックホルムで開かれたことは殆んど忘れられているようだ。ストックホルム会議こそがすべての原点であり、以後30年の歴史的な流れを押さえておく必要がある。

同会議は、「人間環境に関する国連会議」(The United Nations Conference on the Human Environment)という正式名称が示すように、人間を取り巻く森羅万象、あらゆる環境問題を初めて統一的に把握しようとした画期的な会議であったが、そこには当初から大きなイデオロギー的な矛盾があった。すなわち、日本や欧米の先進国は、当時すでに重大な社会問題となっていた大気汚染、水質汚濁、土壌汚染など人間の健康に関係する問題を最優先課題と考えていたのに対し、開発途上国側は、貧困こそ最大の環境問題であり、その解決には一層の開発が必要であるから、先進国は途上国援助を増額すべきだと主張した。

 当時日本では、水俣病などの「公害」問題が最も深刻化していた時代で、「環境」という概念自体が未発達であった。このため、外務省の初代環境担当官であった私は、なんとかして新しい「環境」意識を国内に普及させようとして、自ら「かけがえのない地球」(注)というキャッチフレーズを創案したり、環境庁(現在の環境省)の創設に関与したりしていたが、ストックホルム会議の準備段階から表面化しつつあった、こうした環境問題の定義を巡る先進国と途上国の対立には大いに悩まされ続けた。

 環境問題の先進国(反面教師)としての経験を生かして積極的に国際貢献をしようと意気込んでストックホルムに乗り込んだ日本代表団も、こうした現実の「環境外交」の渦中で途方に暮れ、フラストレーションを募らせた。おまけに、「クジラこそ地球環境保護のシンボル」という大合唱の中で、捕鯨国日本は執拗な追い討ちをかけられた。まさか鯨が環境問題なんてとタカを括っているうちに外堀を埋められた格好である。

 それにつけても私個人として悔やまれるのは、自作の「かけがえのない地球」がなまじ名文句であったがために、日本国内で情緒的、皮相的な環境ムードが助長され、「環境外交」の実態に対する冷静な洞察が妨げられたのではないかということである。捕鯨問題に限らず、例えば、最近の温暖化防止のための京都議定書問題にしても、EU加盟のヨーロッパ諸国の主導で、各種排ガスの削減目標の基準年を、日本にとって最も不利、ヨーロッパにとって有利な1990年(この時点で日本は、徹底した省エネと原発促進で化石燃料消費の大幅削減を達成済み)と決定したところが勝負の分かれ目で、日本はみすみすそれに乗せられたという冷めた見方もあることを知っておくべきだろう。「かけがえのない地球」のためという錦の御旗の前では何事も抗し難いことは確かである。

再びヨハネスブルグ会議について言えば、これは単なる環境会議ではなく、アナン国連事務総長が言うように、「人類の約2割だけに恩恵をもたらす現行の開発モデルをどう変えるか」を議論する大変な会議であるとすれば、日本としても、この一見不公平極まりない地球社会の構造改革にどう関与するか、具体的構想を提示するだけの理念と覚悟を固めなければなるまい。それには当然相当の自己犠牲を伴うだろう。

折りしも南アフリカは現在世界最多のエイズ感染者を抱え、貧困に喘いでいる。そこでの議論が、飽食とグルメに明け暮れる日本人にとっていかに厳しいものとなるか。10年前のリオ会議のときのように、お祭り気分で大挙してヨハネスブルグに乗り込む前に、「かけがえのない地球」を守るということの意味の重さを、この際もう一度考え直してみる必要があるのではないか。 


(注)ストックホルム会議の公式スローガンである"Only One Earth"にヒントを得て筆者自身が1970年に創作したもの。この辺の事情については、岩波講座・地球環境学・第10巻(1998年)の金子熊夫「『地球環境』概念の誕生とその発展過程:体験的環境外交論」を参照願いたい。

<筆者紹介>

金子熊夫(かねこ・くまお)

外交評論家、エネルギー環境外交研究会会長、地球環境センター理事、国際閉鎖性海域環境保全センター理事、ベトナム協会理事。元キャリア外交官、外務省参事官、国連環境計画(UNEP)上級企画官、同アジア太平洋地域代表、前東海大学教授。ハーバード大学法科大学院卒。1937年愛知県生まれ。

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